人間の観測~終末期

2013年5月10日

はい、どっと・こむばんは(=^o^=)やまねこ夜話です。
終末期と死と医療をめぐって考えていました。 インフォームド・コンセント、ターミナル・ケア、クォリティ・オブ・ライフなどの キーワードが終末期医療や介護について語られています。
人はいかにして死にいたるか?というテーマは人類普遍の課題とも言えるでしょう。
『死ぬ瞬間』や『ライフ・レッスン』で知られるキューブラー・ロスは死の二年前に 自伝的エッセイとして『人生は廻る輪のように』を書きました。
数多くの患者の死を看取った医師の自分自身の死を看取るための著作として世界中で 読まれたベスト・セラーですが、何故か日本でのみあまり知られていません。 医療予算超大国日本の不思議と言われています。
終末期医療の母と呼ばれたキューブラー・ロスの自伝とは・・・?
「人生は廻る輪のように」 キューブラー・ロス著 (角川文庫)

エリザベス・キューブラー・ロスは、20世紀に大きな足跡を残した人物であることは確かですが 日本ではそれほど知られていません。スピリチュアル・ブームであるにもかかわらずということ でしょう。
そもそも「スピリチュアル」とは、キューブラー・ロスやマザー・テレサの活動をさして言う 言葉とわたしは思っていましたが、今の一般で言う「スピリチュアル」とはオーラの泉やアロマ ・セラピーなどメンタルなシェイプ・アップといういくらかファッショナブルでミスティックな 用語と化しているようです。 それほどまでに「スピリチュアル」は多義的で、曖昧模糊としたものなのかもしれませんね。
さて、キューブラー・ロスですが1970年代以降「死ぬ瞬間」以来、医師として患者の死の見取り 医療活動・・ターミナル・ケアのフロンティアとして著名なロスの手になる「自伝」が本書です。
しかも死の数年前に書かれ、続く「ライフ・レッスン」は死の前年・・病床で書かれました。 河合隼雄氏と柳田邦夫氏の対談「心の深みへ」のなかでもロスについては多くのページを割いて 触れられています。
三つ子として生まれたロスは、アイデンティティに深く謎をかかえる少女として育ちます。 姉たちと自分がひとり孤立しているように思えてしまい、自分とは?という究極の問いにとりつか れてしまうのです。
そして、長じて医師を目指し、女学生時代に大戦後ナチスへのレジスタンス運動との関わりから (彼女はポーランド系)アウシュビッツ収容所のガス室を見学し、象徴的な体験をします。 捕虜たちが寝起きしていたベッドに描かれた夥しい美しい蝶の絵を目にして衝撃をうけます。 人間は死に際して、蝶のように彼方に飛び立つ・・という原体験のようなものが彼女の魂に刻み つけられるところは、とても印象深い。
やがて、医師となり患者の死に出会うごとに「生への謎」は「死への謎」へと変化してゆきます。 ロスは、「死を看取る医師」へと導かれてゆきます。数万人の看取りと死への理解がロスをメタ モルフォーゼさせてゆく、プロセスは、現代の介護医療、終末期医療のフロンティアならではの ドラマティックな展開を実地に生きていると感じました。
そして、夫との不和、離婚。死の専門家に「別れの体験」はつきものなのでしょうか? アメリカに渡り、当時全盛を極めてニューエイジ文化の拠点・・・カリフォルニアでの様々な 体験をします。 チャネリング、死者との交流、全体医療とのつながりなどなと火中の栗を拾うかのように現代 スピリチュアリズム/ニューエイジ文化の中で翻弄されるロス。 詐欺師のチャネラーに命を狙われたり、エイズの子供たちを保護して周辺住民から嫌がらせや 脅迫・銃撃を受けたり、ターミナル・ケアのイメージと程遠いほどにロスの人生は波乱に満ちて、 ドラマティックでさえあります。
そして、2004年、本書を書き終えてロスは「ライフ・レッスン」で人生のエッセンスを総括 して生涯を閉じます。ロスの葬儀では、最後に小箱に収められた蝶を空に解き放したと言われて います。マザー・テレサとともにわたしが尊敬している人のひとりです。』  
(スローリビング日記2006)
わたしたち日本の医療のホスピス・ケアも介護環境もキューブラー・ロス女史の遺産のもとに あることを改めて思い知らされています。
「死を見つめる心」とは、とりもなおさず「いかに生きるか」という問いに導かれてゆくの でしょう。 「わたしとは誰なのか」そして「わたしはどこに行こうとしているのか。」という人生の謎と 向かい合うことも一人一人の課題ではないかな、と思っています。


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