お経の話 2 理趣経

大日如来

2008年8月13日

はい、やまねこ(=^o^=)です。

お盆の入りですね。迎え火を焚いて、亡き人 ご先祖様を迎えます。
お墓参りがまだの方々は、是日是非お参りください。(=^o^=)
人は皆死ねば、諸精霊となって一度故郷、家族のもとに帰る時を迎えます。
そして、この世で生きる家族・親族とともに過ごします。
さてさて、わたしはお遍路さんですが、四国では弘法大師の密教の教えが親しまれています。
あまり宗派にこだわらない宗派なので、お四国の札所には他宗派の霊場もあったり、キリスト教のマリア観音が祀られているところもあります。
とはいえ、中心的なお経と言うものがちゃんとあります。
真言宗では、「理趣経」というお経が一番大切にされています。所依の経典は「大日経・金剛頂経」なのですが日々のお勤めや葬儀では、このお経を大切にするのが慣わしです。
理趣経の教えは「大楽の教え」と呼ばれています。
「すべてのもの、すべての欲望は清らかなり」というものです。
わたしたちは、様々な欲望、過ち、罪穢れ、憎しみ、怒り、迷い、苦悩、失望、争いの中に生きていますがそれらはすべて「清らかなり」というのです。
そんなはずはない。何でも清らかであれば、警察はいらないよ。第一それなら、悩みや苦しみさえ必要ないじゃないかと思うのです。人間は、欲望があるから悩みや争いや憎しみがあるのではないか?思うのが人情と言うものです。
しかし、このお経は宇宙の法身たる大日如来(ビルシャナ仏)が説いた秘密の教えです。
わたしたちは、思い通りに行かず、朽ちて壊れる世界・・・娑婆の世界に住んでいます。
このお経が説くのは仏の世界が決してこの娑婆世界と別々の分かたれた世界はないということを語っているような気がします。
仏の世界から見れば、すべての欲望は清らかなり・・ということなのでしょう。
しかし、わたしたちはただひとりの凡夫、悩めるものにすぎません。
様々な欲望を抱きながらも、弱さや罪や迷いに満ちているのかもしれません。理趣経は、そんなわたしたちに「欲望の結晶化と自己肯定」を説きます。
仏の世界から見た欲望のあり方を学ぶことによって、利己的な小さな欲望から、利他的な大きな欲望に目覚めることができるというのです。
そして、世界に欲望の調和と結晶化をもたらすことで凡夫であるわたしたちも菩薩になれるというのです。それを金剛薩多(こんごうさった)と呼びます。
秘密主の教えを聞く者は、わたしたちの煩悩を離れているわけではありません。
煩悩の只中にダイヤモンド(金剛石)のように秘められていると言うのです。
そして、この教えを聞くものはみんな金剛薩多(金剛の知恵を持つもの)になれるということなのです。
やまねこ(=^o^=)でした。

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