スピリチュアルとメンタル・ヘルス

2008年7月24日

はい、こんばんは。やまねこです。(=^o^=)
ダイエット・ブームの中で、ヨガやピラティスが人気です。スピリチュアル・ブームの影響もあってかアロマ・セラピーやオーラ・ソーマは定着したかな、という印象もあります。
ヘルシーでナチュラルなライフ・スタイル・メニューの中にスピリチュアルも一定のポジションを得たことは、わたしは好ましいことと思っています。
何故かと言うと、これらのスピリチュアルな要素を持ったトレンドが生活の中に自然に溶け込んで “特別な何か”ではなくなりつつあるからです。
“特別な何か”=トランツェンデンタリズム(超越主義)は、スピリチュアル・ブームの中で様々な局面を見せていましたがどうもブームとともに消え去りつつあるようですね。(=^o^=)
わたしが、このブログを「スピリチュアル日記」としないであえて「スローリビング日記」としたのには 実はわけがあります。
これまでスピリチュアルについて長々と書いてきたのですが(800記事)多くの記事をスローライフないしは、メンタル・ヘルスのカテゴリーに振り分けました。
それは、スピリチュアルなテーマは多くは、ライフ・スタイルの問題であって、精神的なスロー・ワークに直結すると考えたからです。
ゆったりと心身を解放して、ゆるやかな生活を楽しみ、落ち着いて自分自身と向かう会うということこそが”スピリチュアル”なのではないかと思っているのです。
ただ、残念なことにわたしが出会ったスピリチュアル・ファンと言われる人たちはむしろ逆でした。
いつも何かに追われていて、焦りに満たされて決してスローではなく、何か特別大きな夢に向かって突進するようなタイプの人たちでした。なんだかスーパー・ビジネスマンみたいなスピリチュアル?
そして途方もなく巨大な夢を語りつつも、小さな現実にこだわる人たちでした。たまたまそんな特定タイプにであったのかもしれませんが、気になってあるスピリチュアル人気番組を見てみました。
確かに、確かに・・とうなづくものがありました。彼らもまた焦りの感情を無意識に煽る側面があることは否めないかなと思いました。
それは「わたしは変わりたい」という視聴者の願望を上手に受け入れてくれるのですが、それを「変身願望」にスライドしてしまう傾向が見て取れました。
美容や性格改善などの意味でなら、「変身願望」もよくわかるのですが、スピリチュアルなテーマで変身というのはいただけない発想です。
わたしたちはありのままのわたしを受け入れ、向かい合うことなしにはスピリチュアルな世界に触れることは不可能なのではないでしょうか。
誰か別人になりきれたら、わたしは特別な人として見違えるようになるとでも言いたげなモチーフにはずいぶん悲しいものを感じました。また、スピリチュアル・ファンと言われる人たちは、夢は語りたがる一方で現実の厳しさは避ける傾向が否定できません。何かしら二つの現実を抱えているような印象が残りました。実は、わたしもそんな二重の現実感に悩んだ時期もあるのですが、今は現実は唯一のものと考えています。それは人がどう捉えようとひとつしかないものなのだと思っています。
CG.ユングは、精神的危機の時代を乗り越えたときに著名なアーキタイプの理論を残します。
アニマ、アニムス、グレートマザー、オールド・ワイズ・マン、ゼルプストなどです。 それは、ユング自身がたどった内面の旅の過程で統合されていった”わたしへの長い旅”のシンボルのようにも思えます。
スピリチュアル・ブームとその後の展開を見るとき、わたしたちもまた”内面の旅”を経て、少し成熟に一歩近づいて、「わたしは変わりたい」のではなく「わたしはわたしらしく生きたい」のだということに少し気づいたのかもしれませんね。(^o^)
それは、すぐれてメンタル・ヘルスというテーマと隣接した気づきのようにも思えます。
わたしのスピリチュアルな旅もまた30年を経て、まだまだ続きます。
スビリチュアル30thのやまねこ(=^o^=)でした。

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