大歳の坂を越えて2010年へ

松山市道後 伊佐爾波神社

2009.12.19

はい、どっとこ・こむばんは(=^o^=)やまねこでおます。
年末の多忙な時期には入ってきましたね。やまねこは、「ニトリ」で家具やキッチン用品を 見て歩いていました。アウトレットやホームセンターが賑わう時期です。 1900円のこたつ布団をget! 洗濯機で丸洗いができてデザインもなかなかです。 ハウス・ビルドは、家具や生活用品もそろえて初めて完成なのでいろいろと見て歩きました。 そうこうしているうちにやがて年は、暮れてゆくのでしょう。 さてさて、2010年はどんな年になるかと言うテーマで考えています。 やまねこは、来年から三年間が正念場と思っています。新しい時代の誕生に向かうと思って いるのです。それは、物質主義の崩壊と霊性の時代の幕開けと言えば、ことはシンプルですが 単純にスピリチュアルなアセンションがおきるとは到底考えられません。 某有名スピリチュアルテレビ番組からもわかるように根底は”物質主義によってスピリチュアル・ ブームは作られた”と言える側面があるからです。 多くのスピリチュアルといわれるものは変形した拝金主義にすぎないお粗末なキッチュとして すでに忘れ去られているというのが現状でしょうか。 ゆえに霊性の時代の幕開けは、物質主義の爆発的な崩壊が予感されます。 不況とか、社会の閉塞状況と言う段階から、一気に崩壊が加速してゆくと思っているのです。 これまでは、経済中心に生活していればおおよそ健全な生活ができたと思われますがそれさえ ままならない時代が始まるのでしょう。経済以上の動機付けがないということは、その支柱を 失うことは命取りにもなり得るということかな。 大切なのは、地上に生きることであってどのような経済生活を営むかではないということです。 日月神示には、「富士のしくみ」と「鳴門のしくみ」と暗示されていることが進んでゆくのでし ょう。ひとりひとりの人生の優先順位が問われる時代にすでに入っていて、この内なる指標が 一層強められてゆくということでしょう。 そもそも内なるものとは決して「内側」ではないということです。 わたしたちが望み、希望し、祝福を持っていだく思いとはそのまま外側になっててゆくという ことなのです。これはとても厳しい現実と言えるでしょう。 何故ならば、物質主義にしたがって内面を形成してきたものにとっては恐るべきパニックの ともいえるからです。それは内と外の背理が困難な時代とも言えるでしょう。 ゆえにできるだけ身軽に自分の優先順位を”身近なリアリティ”に置いて、物質主義(競争原理) から離れたところで営めばいいのではないかな。 アウトレットで、ささやかな買い物を楽しむ人たちを見ていると多くの人が「内なる祝福」を みんな生きてるんだな、と思いました。

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