里山と都市

夢の里の夕暮れ

2013年8月1日

はい、どっと・ちゅーにんぐ(=^o^=)やまねこ堂でござります。
寄る年波のやまねこは、シニア・ライフについて考えています。
勿論、前向きなアクティブ・シニアということについてです。 すでにとってしまった齢についてはしかたないですからね。
近頃、年金疎開や人生の楽園という言葉がささやかれやまねこの友人にも瀬戸内海の島に ついの棲家を得た人もいます。
『里山資本主義』の藻谷さんはこんなふうに語ります。
「里山には、代々の先祖が営々と育んできた、自然と共に生きるシステムがあります。そのルールを守っていると、いまの時代でも、水と食料と燃料、それに幾ばくかの現金収入がちゃんと手に入ります。新鮮な野菜に魚、おいしい水、火を囲む楽しい集まり、そして地域の強いきずな。 都会であくせくサラリーマンをやっている人間よりも、里山暮らしの人間の方が、お金はないけど、はるかに豊かな生活を送っているということを、私は各地で実感しています。 つまり里山にはいまでも、人間が生きていくのに必要な、大切な資本があるのです。」
また、都会で最先端の仕事をしていた若い人が愛媛の里山でモノづくりのためにIターンしたという 話もよく耳にします。
ロハス・ライフ、スローライフ、エコ・ヴィレッジ、地方の時代と言われるのは 「都市化」「中央集権」「工業化」「情報化」の都市部の対局で取り残された来た地域が日本の 7割をしめるのが里山だからです。
過疎地域、仕事がない、超高齢化、情報がない、活気がないという田舎は、「何もない」と言われて 久しいのですが、実は里山にはは「森林資源」「静かな環境」「豊かな水」「助け合いの文化」 「自然との共存生活の知恵」などが人間にとって豊かな資源があり、これからの時代の資本となり うるのだという主張です。 確かに高齢化と農業と林業の低迷と過疎化に悩む里山の現実はあります。 しかし、その一方で都市生活は「生活コストが高く、過密で、システム管理でしばられ、ストレス 過剰で、自然から疎外され、災害に脆く、精神的に孤立しやすい」のも対局の現実です。
クールでスピード感のある都会、スローでナチュラル感のある田舎。 わたしたちは、便利と不便と喧騒と静寂の間で行き来しています。


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