地球型ライフ・デザイン

フラー ドームハウス 「ライフデザイン研究所」

2009.11.19

はい、どっと・みっどないと。(=^o^=)地球型循環型のライフ・スタイルについて考えています。 ロハス・ブームの時代ですから、ナチュラル・スタイルは誰もが望むことなのでしょう。 自然と触れ合いながらオーガニックな生活を求めるなら、人工環境をできるただけ避け 人里はなれた場所で暮らすのが一番かもしれません。「山にこもる」というスタイルです。 しかし、同時にそれはワン・スタイル・モードとも言えるかもしれません。何故ならみんなが それを望めば、そこが都会になってしまうからです。 都市は人工環境に満ちていますから、「ナチュラルではない」のも確かですが、そこに生きている 人もそうかというと必ずしもいえません。今のところ人間は、自然界に属しているのです。 ナチュラリズムとは、そもそも何なのでしょうか?

『フラーが最も嫌っているのは専門的思考というものである。専門バカが嫌いなのだ。新しい生き方はすべからく「総合的な性向」をもつはずだというのがフラーの絶対の信念なのである。  しかし、その総合的な性向をもつ思考法を発揮するためには、すべての出来事や思考法を「互いに連携しあったシステム」の中で捉える必要がある。そういうものは、まだ世の理論には登場していない。わずかに先駆者がいて、それをヒントに考えつくしかない。ぼくもそこに注目したのであるが、たとえばフォン・ベルタランフィやコンラッド・ウォディントンが見抜いた一般システム理論を援用するしかなかったのだ。ひょっとするとそのころ浮上しつつあったサイバネティクスや大型コンピュータの機能に何かがひそんでいる可能性もあったろうが、そのノロノロした発展を待っている時間は、フラーにはなかったようだ。 科学理論や技術開発は、ときに遅すぎるものだ。若きフラーははやくからそのことに気がついていたにちがいない。そしてフラーが最初からとりくんだことは、一歩すすんで、その一般システム理論を動かす正体をつきとめることだった。  その正体はやがて「シナジー」(synergy)とよばれることになり、そのシナジーによる連携したシステムは「シナジェティクス」と名付けられることになる。』  松岡正剛

部分を集めたものが、全体であるという合理的思考から離脱して、シナジーという宇宙原理 を見出したフラーの考え方が、「地球型生活」には良きヒントかもしれません。 最近のフラクタル数学が指摘するようにように自然の造形と都市造形が似通っているのは、 シナジーの力が働いているととらえるわけです。 それは、ミツバチの巣のように数学的な規則性によって造形されているものが、自然界の 根底にあるという思考です。フラーはこれを、部分的に抽出せず、全体系でとらえようとした のでしょう。 わたしたちが、陥りがちなのは部分的・専門的なものをバズルのように組み上げる癖なのでは ないかな。近代科学の合理主義は、全体としての人間をついにパーツの寄せ集めと見るに至って います。自然と人間は、二つに分かれた宇宙モデルなのだとしたら、科学とナチュラリズムもまた その根を同じくするのではないでしょうか。自然環境は、外に探す前に人間そのものの自然から 問い直したほうがいいようです。『ヒューマン・ネイチャーとは何か?』=『人間の本質とは何か?』 ということでしょう。なになに、「そんな問いに答えてるヒマはない。」って? それほどに私たちは本末転倒の世界に住んでいます。 とはいえ、地球型のライフ・デザインと言うものがあるとしたら、山に住む、里に住む、都市 に住むといった視点からではなく、地球に住むというリアリティをまず大切にするのがいいかも しれませんね。 バックミンスター・フラーは、この宇宙全体をテクノロジーと見ていました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

*

CAPTCHA