シニア・レポート

松山市 道後温泉本館

2013年11月29日

はい、どっと・もーにんぐ(=^o^=)やまねこ庵でおます。
やまねこも齢五十数歳を過ぎ、人生の限界を意識する世代となり、「死に至る病」を 患い、林住期となりましたので時折、「折にふれて」シニア・ライフ・レポートを書く ことにしました。
やまねこシニアのシュールな遁世論(リトリート・アイデア)ということになるかなと思います。 若い世代に向けてということでもなく、同世代に向けてということでもなく シンプルに「長雨せしまに」気づいた徒然の草々のことに過ぎません。
昔、吉田兼好という人も『徒然草』というものを書いていますね。中世の賢人の日記が 私たちに今も訴えるところがあるというのも不思議です。
さて、第一話は人間関係論です。
やまねこは、常々「人間関係はその人の人生を語る」と思っています。 良きにしろ悪しきにしろ人間関係はその人の人生のカルマの表現であるということです。
「こんなステキな人とつきあっている。こんなトンデモ人間が私の周りにいる。」と多くの人が 思うのでしょうが、いずれも「私の人間関係」であることに変わりはありません。 「ステキな人」と「トンデモナイ人」が時折入れ替わるのが人生というものかもしれませんね。
やまねこは人生にブルドーザーというものがあり、すべての人間関係を整地することが できたとしたら、多くの人の人間関係はフラットか、少し下がっているか、少し上がっているか くらいの差しかないと思っています。要は大差ない人たちとつきあうのが社会生活なのです。 私もまたそのひとりにすぎません。
整地とは?
「1 建築のため、土地をならし地固めをすること。地ならし。「―して家を建てる」 2 作物の種まきや植え付けのため、土を耕し雑草などを除去して土壌を整えること。」
整地作業は、農業でも建築業でも事にとりかかるはじめにしますね。
しかし、人間関係の整地作業は人生においては「林住期」において明らかになるのです。 多くの人間関係は、プラスもマイナスも大差ないことを納得できれば、ご都合主義や利害得失 に一喜一憂する必要はありません。折に触れて、良き人間関係をめざしつつも人間観察をひたすら 続ければよいのです。その総体は自らのカルマが形成してくれるでしょう。
大きなプラスということも他人からは来ませんし、大きなマイナスということもありません。 わたしたちが他人との関係に期待することの多くは幻想でありむしろ「自分との関係を変化させる」 ことが人生を変えてゆくのです。
他人はわたしを変えてはくれません。わたしこそが私を変えてゆく重要人物なのです。
わたしたちは、過去のカルマに従う側面よりも未来に向けて新たな創造行為を成してゆく存在です。 希望の種をまくことを通してより良き人間関係を営み社会という失われた「からだ」を回復して ゆくということなのでしょう。

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