思考の実験~人生に目的なんかいらないという考え

トルマリン原石

2009年4月10日

はい、どっとこむばんは(=^o^=)やまねこです。
やまねこは、最近『思考の実験』というものをしています。別名「ものは考えようです。」ということです。普通、人は進歩や発展や前進を目指して未来に向かって生きる・・・いわば「前向きに考える」ことが好ましいとされています。勿論、わたしもこのような考え方に賛同しています。
しかし、一方でこの前進的な考え方は、奇妙な矛盾をはらんでいることも事実です。
たとえば、経済成長を前年比で何パーセントがアップしようとするとインフレが進行して、最後にはデフレと経済システムの破綻があらわれます。同様に成長期の少年がそのまま身長が伸びるとやがて体重や身長を支えることができなくなり、死んでしまうでしょう。そのようなことは、いわば自明のことなので人間は様々な知恵を働かせて、成長から鍛錬へ、鍛錬から成熟へ、そして成熟から円熟へといたり、老化して、やがて死をむかえます。
これは、新たな成長のステップへといたる自然の摂理とも言うべきものです。前進あるのみ・・といった近代的なとらえ方は、決して自然の世界にはない特異で奇妙な考え方なのです。
さてさて、思考の実験とは未来を志向して発展する・・・という自明の考え方から一度離れてみるということです。未来を志向せず、現在を志向する。発展を求めず鍛錬や洗練や円熟を求める。
そして周囲を変えるよりも自分の姿勢や思考方法を変えることによって何が変わるか確かめてみる。といったことなのです。
世の評価は年々歳々変化してゆくものですから、何の基準にもならないことを認めたうえで、無評価にありのままに事実を観察する。そして自分の思考の癖を他人の癖を観察するように観察する。
そんな思考の実験をしていると見えてくるものがあるのです。
それは、人生に目的なんていらないという単純なる事実です。
目的意識を持って生きるのは、勿論けっこうなことなのでしょうけど、あえて必要はないのではないでしょうか。
時間はひとつの叡智の器なので、わたしたちの目的よりも高度な知恵を与えてくれます。
直線的時間の中での前進、成長、発展、合理、効率などといった局在的な世界はとても小さく、現在という臨在している世界の広さと較べるとまるでダンボール箱みたいに思えるのです。
スケジュールを詰め込むこと、前向きに生きることは時として、自らを箱に閉じ込める局在的未来志向というトリックにはまる危険を感じています。
春の入学シーズンですね。受験に失敗したり、就職浪人の人も多いでしょう。
出発が一年延びたら、一年長生きをする工夫をすればいいと思っています。
この世に無駄なことなんでなにひとつないのです。やまねこ(=^o^=)でした。

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