生きるアートとメディテーション

2009年2月23日

はい、どっと・こむばんは(=^o^=)やまねこどす。先日、シュタイナー仲間のT君と珈琲を飲みながら話していました。彼は、造形アートの勉強をしている若者です。造形とイデアをめぐって長々と話しているうちにハッとひらめくものがあったのか、彼はこういいました。
『形態が生まれてくるプロセスを辿ってゆき、その感覚的・現実的な要素を捨て去ったところにイデアが息づいているんです。』
わたしも大きくうなづきました。芸術が、芸術たりうるのはその感覚的要素を取り去ってなお生きた実体が残り、それこそが現象化する前のイデア(美の理念)とも言えるからです。
しかし、それが二十歳そこそこの青年が語る言葉なのかな?と感心しました。そして、彼は自分が着ているシャツとコーデュロイのズボンが自分の手作りで、色染めからすべて仕上げたものを見せてくれました。何かを見ると自分で作ってみたくなる抑えがたい衝動が彼にはあるようです。洋裁を習ったわけではなく、既製服を解体して型紙からつくりし立てたのだそうです。ボタンまで気に入った色に染め直すという凝りようです。

そのあとシュタイナーの霊的認識論をめぐって延々3時間くらい話し合っていました。超感覚の世界と芸術的インスピレーションは、確かに花と果実のような関係があります。
アートの衝動と洗練が花開いたあとに霊的な認識がもたらされるようなのです。
この二つの認識を一つに結び付けてくれるものは、何なのだろうと想いめぐらせているとそれこそがメディテーションなのだと思い当たりました。
T君のような人は、造形アートを通してより深いメディテーションの鍛錬を積んでいるようなものかもしれません。
それは、思考を素材として芸術的思念像を強烈に内面に刻印するという能力を高めてくれます。
かつて古代の聖賢が著作を残すことを潔しとせず、弟子たちの魂に直接刻印してきたのは、その花と果実の関係を深く理解していたからなのかもしれませんね。やまねこ(=^o^=)でした。

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