スピリチュアル考4 宗教と日本人

2008年12月2日

はい、どっと・こむばんは(=^o^=)
暦と宗教について考えています。日本人は、何教徒かというテーマなのですが大方は無宗教ということになるのでしょうか。他国・他民族の宗教性から比較する限りは、無宗教と言うのが正確なところでしょう。
七五三は、神社で祝い、結婚式はキリスト教会で、お葬式は仏式で執り行い、年末はクリスマスを祝い、年頭は神社かお寺に初詣に出かけるというのが、大多数の年中行事ですね。(^o^)/
これを宗教の混交と見るか、無宗教とみるかは議論の分かれるところでしょう。
日本人以外から見ると明らかに無宗教です。宗教とは、人生の根底を支える信条の体系ですから、信条とは無関係に多方面の宗教行事に参加することは、日本以外ではまず有り得ません。
かく言うわたしも多くの日本人と同じように神社・仏閣・キリスト教会に出入りしております。イスラームのモスクが、身近にあればそれもありかな、というのが正直なところです。
理由は簡単で、宗教は個人の問題であって、社会的なものとは全く別と考えているからです。つまり、何処の会社・地域・家族に属しているかは問われても、宗教的な所属は必ずしも問われないのが日本の社会だからなのでしょう。地域によって異教徒が住んでいたり、民族と宗教が合い争っているのを聞くと首をかしげるのが日本人と言うものでしょうがそれは、世界中で日本人だけだということは頭に入れておいたほうがいいでしょう。
わたしは、年明けにインドに行きますが、つい先日もテロで沢山の人が殺されましたね。
民族と宗教の違いはこれほどすさまじいというのが、世界の常識なのでしょう。アイルランド、イギリスでもクリスチャン同士が争っています。
しかし、わたしは日本的な感覚の方が、健全な宗教感覚だと考えているのです。
何を信じようと個人個人の自由なのですし、また信じない自由も確保されるべきですからね。
第一、宗教は人間を自由に導くものであって、争うものではないでしょうから。
正確に言えば、無宗教の衣を着たり、混交宗教の衣を着た宗教性の高い民族とも言えるでしょう。
社会道徳として定着している儒教も宗教だし、武士道も神道と儒教と仏教から成り立っています。
しかし、それらは形としての儀礼であったり、無意識の慣習であったりします。
内面の問題をまったく自由な領域として確保することが、不文律として相互に認め合っている日本の精神文化は、胸を張って「健全な宗教感覚」ととらえてもいいのかもしれません。
それほどに他国では社会主義と言う宗教も含めて、争いに満ちているのでしょう。
宗教の基本は、人間同士が仲良くすることに尽きるのですから、日本人の方がよほど宗教的なのです。
やまねこ(=^o^=)でした。

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