森の哲学者2013

『アバンダンス』ゴビ

2013年1月9日

はい、どっと・こむばんは(=^o^=)やまねこ山でおます。
風流人と砥部町をかけめぐっていました。砥部町のロハスな魅力を堪能する一日です。 やまねこは、年が明けて以来、ある予感に満たされています。 それは、時代の波が明らかに変わったということです。
わたしたちは、主観の時代から客観の時代へと歩みを進めているのかもしれません。 しかし、それは意味深長な「客観の時代」と言えるかもしれません。
社会論に目を向けてみるととてもわかりやすい例が見いだされます。
これまでの客観とは、集団・物質・富・権力・組織などが中心をなして来ましたが、 今年になって、個人・精神性・機動性・コンセプト・有効性がとってかわろうとしている ような気がします。
そういう意味では、マスメディアのような一括情報よりも、フェイス ブックのような個別情報を大衆が重視しているとも言えるでしょう。
閑話休題。 20世紀初頭の哲学者フッサールは「客観性」をテーマとする現象学の創始者です。
『ノエシスとノエマ・・・・どちらもフッサールの現象学において用いられる、ギリシャ語の見る=noeoに由来する言葉であり、概念である。ノエシスとは、精神的な知覚作用としての「考える作用」を意味し、その対象としての精神的に知覚されたもの、つまり「考えられたもの」がノエマである。フッサールは、意味を与える作用がノエシスあるいはノエシス的な契機であり、その作用によって構成された意味を統一的に知覚できることをノエマであると定義付けている。ノエマとは具体的な事象ではなく、ノエシスの相関関係、相互関係によって、意識内に構成されるものであり、知覚、あるいは意識の対象面と言うことができる。このノエシスとノエマが結び付く過程を通して、本米それ自身では何の意味もない素材的な要素にさえも、知覚意識からの意味性に気づくことができるという解釈論の原理に辿り着ける。このノエシス・ノエマの関係はデザイン領域の解釈論や創造論では全く語られたことのない概念であり、用語である・デザインする対象、あるいはデザインされた対象が、知覚意識のなかでどのような相互関係にあるかということでは、現在は、アフォーダンス理論や、ギブソニアン的なデザイナーの知覚論に偏向し過ぎていると言わざるを得ない。結局、製品記号論や形態言語論をより進展させていくためには、生活・意識のなかで見失われていると言われている純粋意識論を再度検証する必要があると考える。そのためには、アフォーダンス、セマンティクスをさらに純化していく知覚論と意識論が不可欠である。』川崎和男
「アフォーダンス、セマンティクスをさらに純化していく知覚論と意識論が不可欠である。」とは 言い得て妙です。アフォーダンスとは誘発性、セマンティクスとは意味論。鳥の羽は空を飛ぶという デザインのアォーダンスを、そして鳥は「飛ぶ動物」というセマンティクスを持っていると見ます。
純粋意識論としての現象学の時代がはじまったのだとやまねこは思っています。
意識の統覚作用としてのノエシス。 志向された意識内容としてのノエマ。
時代の大きな変化の中でわたしたちは、ヴィジョンする力を培い、育ててゆかなければ 新しい時代を乗り切ることは困難だと思います。
『結局、製品記号論や形態言語論をより進展させていくためには、生活・意識のなかで見失われていると言われている純粋意識論を再度検証する必要があると考える。そのためには、アフォーダンス、セマンティクスをさらに純化していく知覚論と意識論が不可欠である。』
時代の変化にいち早く注目し、フッサールの現象学を照射するプロダクト・デザイナー川崎さんの 時代を観る目の恐るべき洞察に感服する次第です。

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