やまねこ郵便 号外

2008年8月5日

はい、こんにちは(=^o^=)やまねこです。
今日は”ゆる時間”の過ごし方です。
わたしたちは、仕事を終えて家に帰るとお風呂に入ったり、テレビを見たり、くつろぎの時間を持ちますね。仕事時間は緊張を伴うもので、家に帰ると緊張を解いて、自由時間として過ごします。
仕事はたいてい為すべきことがきまっていて、時間を会社のルールでしばられますから、仕事の余暇が「わたしの気ままな時間」ということになります。

さてさて、一日8時間の仕事時間と帰宅後眠るまでの数時間を自由時間と考えるとなんて短い自由時間でしょうか? 
考えようによってはしんどいことですね。一日あたりわずか数時間のために8時間を会社に差し出しているわけです。
わたしは、仕事時間は物理的には拘束される時間であることは確かであっても、「わたしの時間」なのだと思っています。仕事ですからある程度緊張やストレスが伴うのは当然でそのことに不満を抱く人は少ないでしょう。
むしろ「時間を拘束されている」という気分が問題なのだと思います。
仕事をわたしの時間としてこなすのと会社の時間としてこなすのとどちらがいいのでしょうか?

ミハエル・エンデの「モモ」という小説に時間泥棒と言うのが出できますね。時間貯蓄銀行のセールスマンたちが突然モモの住む町にやってきます。
そして、ひとりひとりから時間効率の名の下に時間を買い取って持ち去ってしまうのです。時間を持ち去られた人たちは、それまでの生活と一変してゆるやかなくつろぎや人間らしい感情を失い、合理的な効率のみに汲汲としはじめます。わたしたちの時代を象徴するファンタジーとして世界中で読まれました。
時間泥棒は、会社やシステム社会そのものの本質を言い当てている面があります。本来内的なものとしての時間をストップ・ウォッチで計られるものに書き換えてしまうのです。

“ゆる時間”とはわたしは、時計で測れない内なる時間感覚ではないかと思っているのですが、みなさんはいかがですか?
部屋でぼんやりと雑誌やテレビをみる。窓の外の風景をみる。お風呂でゆるゆると過ぎた出来事をふりかえる。
ビジネス・モードから言うとアイドル・タイム(怠惰な時間)かもしれませんが、時計から解放されて内なる時間を味わうことができます。
カールソンが言う「分析的思考」ではなく「全体的思考」や直感が働きやすい過ごし方です。
一日8時間・・・これは時計で測られる時間です。
わたしたちは気持ちの持ち方一つで、仕事時間の中にもゆる時間をアクセントのように持つことができます。
そうすれば、仕事はクリエイティブなものに変化するきっかけを得たことになるのではないでしょうか。
ひとときのゆる時間があれば多忙な仕事時間も「わたしの時間」と思えるのではないかな?
やまねこ(=^o^=)でした。

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