やまねこ夜話

ミユキ・エマイム 茶器なつめ

2013年1月30日

はい、どっと・みっとないと(=^o^=)やまねこでおます。
夕刻にtomokoさんと七宝焼きアーティストのみゆきさんとスピリチュアル・トークをして おりました。
「人間の秘密」と「人生の仕組み」が複雑にからみあっているというテーマ についてです。
カンファレンスは、病院の医師と家族が語り合う場所なのですが、それぞれの人が 自分の人生について語り合う場所は、現代では多くは失われています。
ソーシャル・ネットやツイッターはその語らいの場を提供しています。
ひとりひとりのより良き人生について語り合う場所の必要性を多くの人が求めています。 ある人は医師との語らいに、ある人はカウンセラーとの語らいに、ある人は宗教行事に ある人は辻占いに、ある人は井戸端会議に、ある人は飲み屋・スナックに、ある人は カフェに、ある人はサークルに・・・etc人生の語らいの場を求めます。
わたしたちひとりひとりが「人生の難題」に日々悩まされながら過ごしているのです。 多くの人はその「語らいの場」で慰めを得たり、ヒントを得たり、知恵を得たりしている のかもしれませんね。
プライベートな問題、オフィシャルな問題を問わず、「複雑でやっかいな問題」は わたしたちの日常です。 すべての悩みの特効薬というものは、この世にはないのです。 わたしたちが「生きにくい社会」にいることは、ほぼ間違いはありません。
しかし、社会のせいであることも確かなのですが、「わたしのあり方」を問う標準的人間 が見当たらないこともまた確かなのです。
昭和の時代は「人並みの人生」という基準がありました。 しかし、現在の社会に人並みの幸せなどという基準はどこにも見当たりません。 企業は破たんし、家庭は病理の場となり、社会は激動の嵐に巻き込まれています。
ひとりひとりが自分の基準を持つべき時代に突入しているということなのでしょう。 それは、伝統に回帰することも許されず、集団に所属することもできず、個人が社会に 投げ出されているということを意味しています。
またそれは、社会がほころびを見せ始めて、個人の基準の確立に向けて歩み始めたということを 意味しています。
こんな時代においては、 より良き生き方とは、「自分らしい生き方とは何か?」ということになりますが、 自分らしい生き方は自分で模索してゆくしかありません。
生きにくい時代かもしれませんが、「わたしだけの生きがい」もまた発見できる時代なのだと やまねこは思っています。


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