ブラック・ジャックによろしくと

『あの夏一番しずかな海』久石譲

2014年1月19日

はい、どっと・もーにんぐ(=^o^=)やまねこ庵でございます。
昨日は、ふたたび新年のゲストを迎えたライフ・デザイン研究所でした。
やまねこが以前親しくおつきあいした医学生さん・・・今は立派な外科医のOさんが奥様 赤ちゃんを連れて関東から訪問いただいたのでした。
彼は四国出身で愛媛大学時代に 人類学者上田紀行さん(現在東京工大教授)のボランティア・ネット「ラップ・ネット」で 共に活動した仲間なのです。 わたしもOさんも阪神大震災の折にボランティアに参加したりもしました。 長きにわたる思い出話に花が咲きました。 彼はお医者さんになってすでに十五年。時折愛媛を訪れ顔を見せてくれます。
今回はご本人だけでなく、奥様、可愛い女の子まで・・・お子様と一日ゆるりとドームハウスで 食事をともにしながら、過ごしていただけました。
彼の外科医としての仕事は最近、話題のD-MATです。
「災害派遣医療チーム Disaster Medical Assistance Team の頭文字をとって略してDMAT(ディーマット)と呼ばれています。 医師、看護師、業務調整員(医師・看護師以外の医療職及び事務職員)で構成され、大規模災害や多傷病者が発生した事故などの現場に、急性期(おおむね48時間以内)に活動できる機動性を持った、専門的な訓練を受けた医療チームです。
1995年1月17日、戦中・戦後を通じて最大の自然災害である、「阪神・淡路大震災」が起こりました。 <被害概要> 1995年1月17日 午前5時46分 マグニチュード7.2 全壊家屋:104,906棟 被災家屋:512,882棟 死者・行方不明者6,425名 負傷者43,772名 この阪神・淡路大震災について、初期医療体制の遅れが考えられ、平時の救急医療レベルの医療が提供されていれば、救命できたと考えられる「避けられた災害死」が500名存在した可能性があったと後に報告されています。 この阪神・淡路大震災で災害医療について多くの課題が浮き彫りとなり、この教訓を生かし、各行政機関、消防、警察、自衛隊と連携しながら救助活動と並行し、医師が災害現場で医療を行う必要性が認識されるようになりました。」
ハードをきわめる救命外科医としての仕事についてお話に耳を傾けていました。 災害医療とは危急の急性期・・・死を間際にした患者さんを助けるということなのでしょう。 そこに大きな使命感を持って働き続ける彼のような医師の存在はわたしたちにとっても貴重なの だと思いました。わたしもまた救命医療によって命をいただいたもののひとりなのです。
そして何よりも様々にボランティア活動やネットワーク会議を共に過ごした思い出が今もこの お医者さんの中で「魂の熱」のようなものして残っていることを強く感じました。 パーソナリティは極めて穏やかで素朴なOさん。次から次へと夢中で語らっているといつしか 夕刻に。再会を約束して見送りました。 激務の中めったに取れない休暇にご一家でドームハウスまで訪ねていただいたことに深く感謝した 次第です。

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