初心に帰る

石手寺 仁王門
石手寺 仁王門

2013年10月8日

はい、どっと・ちゅーにんぐ(=^o^=)やまねこ庵でございます。
心臓ドック入りを前に、来し方行く末、セルフ・マインドを内省していました。
シニア・ライフをいかにして過ごすかというのは、人生の総合化というテーマでも ありますね。
ふと、二十代・三十台を共に過ごした友人のジェフリーさんのことを思い出しました。 彼は生粋のイギリス人なのですが、子供の頃ニュージーランドに転居した人です。ワーク・ビザを取って松山で英語講師をしながら仏教文化を学びに来ていたのでした。
元エンジニアで工場ラインの設計をしていましたが、離婚後はオーガニック・ファーム を耕しながら、帆船を作ったり、木工工芸を嗜む風流人でした。 レッド・ツェッペリンのジミー・ペイジによく似た人です。
やまねこは当時石手寺で修行中で寓居を石手寺に置いた彼に出会い、親しくなったのでした。 今から27年くらい前のことですが、彼と語り合ったことが懐かしく思い出されました。
ジェフリーさんが教えてくれたのは、禅についてです。
彼の師と仰ぐ人は鈴木俊隆という禅の開教師でサンフランシスコ禅センターを開いた人です。 鈴木大拙とともに世界に禅を伝えた「ふたりの鈴木」と称される人のようです。
ジェフリーさんは、事あるごとにShunryu Suzukiと語りました。
「初心者の心には「何かを得よう」という考えがありません。あらゆる自己中心的な考えは、自分の大きな心を制限します。何かを得ようという考え、自分という考えがないのであれば、私たちは本当の初心者です。そうであれば本当に何かを学べるのです。初心者の心は慈悲の心です。心が慈悲にあふれていれば、限界がありません。宗派の開祖である道元禅師は、限界のない本来の心を保つことの大切さを常に強調していました。そうであれば、私たちはいつでも自分自身に正しくあり、あらゆる存在に共感を抱き、本当に修行を行うことができるのです。」
「ですから、いちばん難しいことは、私たちの初心者の心を常に保つことです。禅について深く知っている必要はありません。禅の文献を多くは読んでいなくても、一行一行を新鮮な気持ちで読まなければなりません。「禅が何であるか分かっている」とか「悟りを得た」と言ってはなりません。「常に初心者であれ」、これは芸術の真の秘訣でもあります。この点にとても、とても注意深くありなさい。もし坐禅を始めるなら、自分の初心者の心の価値が分かり始めることでしょう。これは禅修行の秘訣です。」
なんと禅的な語りかけでしょうか。 初心禅心・・・初めて出会うときのように初めて取り組む時のように学ぶ。 初心者の心を保つことのむずかしさは、わたしたちが経験や慣れの中で失うものが多いことを 指しているのかな、と思います。
すでに年は経てしまいましたが、初心禅心。 もう一度、すべてを初心から始めたいと思うやまねこでありました。
「自己をならふといふは、自己を忘るるなり  自己をわするるといふは、万法に証せらるるなり」道元

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