シンプル・イズ・ベスト

『幻想水滸伝』姫神

2013年10月12日

はい、どっと・ちゅーにんぐ(=^o^=)やまねこ庵でございます。
出雲大社参拝旅行の準備などしながら、出家の兄と語らっていました。
今月末に出雲へ旅立とうと思っています。 夢の里を発見する2009年の前年、tomokoさんと訪れて以来、五年ぶりです。 五年前はちょうど平成の大遷宮の工事が始まったばかりでしたので、本殿奥の素戔嗚の社 は参拝できませんでした。ここは強力なパワー・スポットのようです。
素戔嗚の社と言えば、出雲の祖神ですが、大社の大国主命のご先祖となります。 遠い昔にここを訪れた時に赤ちゃんと男の子を連れたお母さんがお参りをするのに 居合わせました。
「ねえ、お母さんこの神様はどういう神様なの。」 幼稚園児の男の子が訪ねました。 「この神様はねえ、ヤマタノオロチを退治してくれたのよ。」
あれから二十数年。あの男の子はヤマタノオロチを退治したのかもしれません。
わたしたちは、迷いや偏見や憎しみや争いという悪いオロチに惑わされたりするものです。
哲学者フランシス・ベーコンは「四つのイドラ」を挙げています。
人間が陥りやすい心の偶像=イドラですが、偏見やゆがんだ思考を指しています。
①種族のイドラ 人間が誰しも持ってしまう偏見・先入観のこと。 例えば、地球にいると、地球の周りを他の星が回っているように錯覚してしまいます(天動説)。

②洞窟のイドラ 個人的な性格や環境、経験などから発生する偏見・先入観のこと。 例えば、「井の中の蛙大海を知らず」。固定概念なんかもこれに含まれるでしょう。 洞窟というのは、自然の光を遮ったり弱めたりする個人的な穴のことです。

③市場のイドラ 言葉の不適切な使用によって生じる偏見・先入観のこと。噂なんかもこれに含まれます。 人と人とが出会う場所、すなわち「市場」で使われる言葉というのは、人々を結びつける便利な 媒体ですが、人によって理解力には差があり、さらに同じ言葉でも人によって解釈は違います。 そのため、ここから誤解が しばしば生じて様々な偏見が生じます。

④劇場のイドラ 伝統や権威ある学説などを、絶対的な物だ!と信じ切ってしまうことから生じる偏見・先入観。 なんで「劇場」というのかと言いますと、舞台上の芝居のように古い哲学は虚構、フィクションの 世界を作り出してしまう、ということ。

兄と暮らしのシンプル化について話し合っていたのですが、自然とイドラの話になりました。 テレビで見た、新聞で読んだ、噂を聞いた、不安に駆られて推測したなどなど現代は市場のイドラ や劇場のイドラが氾濫していますね。
平成の大遷宮・・・六十年に一度のご遷座と聞きます。 大国主命を祀る古代の社はどんな再建を迎えたのか楽しみにしています。


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