考えるとはどういうことなのか?

2013年8月8日

はい、どっと・ちゅーにんぐ(=^o^=)やまねこ堂でございます。
今日は、設計担当のコッシーさん、施工担当のH社長とドームハウス愛媛のプロジェクト について話し合っていました。
様々なアイデア、工夫、編集的作業、実地の調査、情報収集、プランニング、設計、コスト コンセプトの摺合せなどなどプロジェクトを完成完遂まで進める作業は、知恵を出し合い 力を合わせ、オーガナイズしてゆくなかでこなされてゆきます。
仕事・・と一言で言って しまえば単純ですが、すべてはマニュアルどおりにはいかないのが日々の現実ですね。
そこで人は考えるのです。 「いかにして、うまくゆくか。どうすれば実現させられるのか。」 ゆえに思考方法は、現実のアプローチの中で重要な役割を占めています。
コンピュータで処理できるのは計算と統計と検索とパターンに落とし込む処理関数と 複製であることは誰もが知るところでしょう。
一昔前に「人口無脳」ERIZAというものが流行りましたね。あたかも考えているかのような チャット・ソフトです。
「人工無脳(じんこうむのう)とは、人工知能に対応する用語で、英語圏ではchatterbot、もしくはchatbotと呼ばれ、その訳語として会話ボットあるいはおしゃべりボットとも呼ばれることがある。 ボトムアップ的な人工知能のアプローチでは「人らしさ」に到達するまでの道のりが遠いので、トップダウン的に「人らしさ」のモデルを作りこむことで「人らしさ」を作り出そうとする立場。およびその立場で作られたシステム・モデル・ソフトウェアなどを指す。 会話ボットは、1人以上の人間とテキストまたは音声で知的な会話をすることをシミュレートするプログラムである。一見して知的に人間の入力を解釈して応答しているようだが、会話ボットの多くは単にキーワードを拾って、内部のデータベースとのマッチングによって、最もそれらしい応答を返しているだけである。」
例えば 「僕は今悩んでるんだよ」
「そうなの。」
「実は会社を首になったんだよ。」
「本当?」
「上司とトラブッちゃったんだ。」
「大変ね。」・・・・・といったチャット機能です。
考えていないコンピュータができる「日常会話」の領域は、あまりにも考えているはずの 人に似ています。考えていてもいなくてもキーワードから一定の返事を返すことは可能という ことかな。
考えるとはどういうことなのか・・・。それが問題です。 キーワードから一定のパターン化された「決まり文句」を導き出すことでないことは確かです。
記憶・推論パターン・ロジック・アルゴリズムの中で流れるコンピュータと人間の対話は あまりにもわたしたちに似ている・・それ以上にわたしたちはなお「考えること」をテーマ とすべきかもしれませんね。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

*

CAPTCHA