グローバルな時代のローカルな生き方

2013年6月9日

はい、どっと・ちゅーにんぐ(=^o^=)やまねこ亭でございます。
朝のニュースでまず株価や為替を聞いて一日をはじめるビジネスマンは多いでしょうね。 これを経済のグローバル化と呼ぶことはどなたもご存知です。
国際経済の中の日本経済という位置で誰もが経済を語る時代。
「今、私たちの時代はグローバリズムの時代です。世界は急速にフラット化し、国民国家のもろもろの「障壁」(国境線、通貨、言語、食文化、生活習慣などなど)が融解し、商品、資本、人間、情報があらゆる「ボーダー」を通り越して、超高速で自由自在に行き来しています。このままグローバル化が進行すれば、遠からず国民国家という旧来の政治単位そのものが「グローバル化への抵抗勢力」として解体されることになるでしょう。
国民国家解体の動きはもうだいぶ前から始まっていました。 医療・教育・行政・司法に対する「改革」の動きがそれです。これらの制度は「国民の生身の生活を守る」ためのものです。怪我をしたり、病気をしたり、老いたり、幼かったり、無知であったり、自分の力では自分を守ることができないほど貧しかったり、非力であったりする人をデフォルトとして、そのような人たちが自尊感情を持ち、文化的で快適な生活を営めるように気づかうための制度です。ですから、これらの制度は「弱者ベース」で設計されています。当然、それで「儲かる」ということは本質的にありえません。基本「持ち出し」です。効率的であることもないし、生産性も高くない。  
でも、この20年ほどの「構造改革・規制緩和」の流れというのは、こういう国民国家が「弱者」のために担保してきた諸制度を「無駄づかい」で非効率的だと誹るものでした。できるだけ民営化して、それで金が儲かるシステムに設計し直せという要求がなされました。その要求に応えられない制度は「市場のニーズ」がないのであるから、淘汰されるべきだ、と。」(内田樹の部屋より)
経済的な強者以外は生き残れないがゆえに「弱者を淘汰する」とは社会のセーフティネットを縮小 して、グローバリズムに順応した社会システムを構築し、グローバル企業体がより効率的な戦える 基盤を持った国に作りかえるということですね。
アベノミクスの本質は、国民をグローバル企業の 管理下に置くシステムであり強者の論理で社会を塗り替え、格差社会をより明確に線引きする ことなのでしょう。そして、下層に位置する多くの国民はグローバル企業の功利システムのなかで 道具として徹底活用される「労働市場」を形成します。新自由主義という市場原理で社会を塗り替 える方法としては有効のような気がします。
困ったのは、その先にある社会はほぼ人間が住めない「冷たい社会」であるということです。 競争社会の原理を推し進めた結果、わたしたちは高度に管理された社会システムの中で生きる ことが当然になってきました。 しかし、その管理者が誰であるのか?を知る方法はきわめて困難なしくみが先立って存在すること に多くの人は気づきません。
何故ならば「より良き生活」を求めてきた結果が現在の社会であり 個々のルール作りの過程はそれなりに良識に照らした結果のプロセスでもあったからです。
閑話休題。
アップルのCEOとして先年亡くなったスティーブ・ジョブズの実家はとても貧しかったそうですね。 小学校時代に「この宇宙でわからないことはなんですか?」という教師の質問に 「なぜうちがこんなに貧乏になったのか、僕にはわかりません。」と答えていたそうです。 「宇宙と貧乏の謎」を考えるやまねこでありました。

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