『愛されなかった時、どう生きるか』 加藤諦三著

2008年4月28日

掛け値なしに「自分と向き合う」ということを考えさせてくれる本です。
それは、こんな一節にもうかがわせます。
『自分を発展させることが出来ない人は復讐にのめりこむ』
親が期待するように感じようとした子どもは真の自己を発展させることができない。
暖かい家で”私たち”という感情をもって育った人は、自分の劣った部分について深刻な劣等感など持たない。
ところが地域社会の評価を気にして、優れていることを期待されて育った子どもは、劣ったところがあれば、深刻な劣等感を持つ。
親に所有された子どもは、世界は敵意に満ちていると感じる。
そして、過保護とは憎しみの表現である、と著者は語ります。
家族連鎖のメカニズムはここにあるのでしょう。
かつて満たされなかった「愛されない不安」が、親を通して、子どもの中に再生産されるからです。
特別に他人より優れていたり、力を誇示しなければ自分の居場所がないという考え方は病理の温床であるというのは、事実なのでしょう。無関心や放置が裏切られたことへの復讐であるように過保護も愛されなかった過去への報復感情を含んでいるからでしょう。
しかし、ありのままに自分を振り返ってみれば、わたしは世界を敵意ある場所と見て生きてきたような気がします。著者のレトリックは、明らかにわたしたちのそのままの姿を映し出しているように思われるのです。
そして、著者は次のように冷厳な事実を語ります。
『自分の弱点を隠す人間は他人とうまく行かない』・・・ここまでくると明らかにわたしたちが投げ出されている状況がはっきりしてきます。それは、この表現をひっくりかえしてみると
『自分の弱点を隠さない人間は他人とうまく行く』ということになるからです。
ここで最初の前提に戻るのです。世界は敵意に満ちた場所であるならば、弱点は隠すほうがいいでしょうから。
そして、弱点を隠しながら他人とうまくいっているふりをするという生き方も出てきます。そしてそれが、多くの人のありのままの姿なのかもしれません。
世界は敵意に満ちていないのであれば、まったく他人の眼など気にする必要はなくなります。他人ともありのままでうまくゆくでしょう。
しかし、これは著者の対比的なレトリックということも言えるでしょう。
わたしたちは、少しずつ弱さをさらけ出しながら、少しずつ世界と和解するということが現実に近いような気がします。
本書は愛の阻害に悩める人への少しきつめのメッセージなのかもしれません。(*^o^*)

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