2009年8月27日
そもそもわたしの仏教との出会いは、メディテーションを通してでした。
15歳のころにアルチュール・ランボーに憧れて、フランス象徴派など読んでいるうちに宮沢賢治に 嵌り、メディーションにはまり始めたのは、高校一年のころでした。
その頃漫画の流行は諸星大二郎 の『暗黒神話』でしたが、今のエヴァンゲリオンにあたるのでしょうか? 東洋の神話学から民俗学、 オカルティズムなどが奇妙に交じり合った怪寄マンガは、内向的な私の魂を捉えるには充分な魅力を 持っていました。
その頃、紀伊国屋書店が「精神世界ブックフェア」というその後定例となるフェアを企画しました。 横尾忠則さん荒俣宏さんや松岡正剛さんなどのしかけによるものでした。 受験生であったわたしは仏教書をむさぼるように読みました。
その中にヘルマン・ベックの「仏教 上下巻」を通してルドルフ・シュタイナーという思想家を知り ました。少なくともわたしにとってはシュタイナーと仏教学、仏教、瞑想との出会いは同時で全く く平行的なものだったのです。
そして『チベットの死者の書』を通してチベット密教に出会いました。 死の瞬間から再誕生へのプロセスと輪廻からの解脱を説くチベットの埋蔵経として親しまれている この書はわたしの魂の指針のようなものになりました。
そして、シュタイナーの神智学、 「いかにして超感覚」を愛読しながら青年期になりました。 思えば三十三年前~三十年前の出来事なのですが、まるで昨日のことのように思われます。 あの時、もしわたしが死んでいれば三十三回忌ということになりますね。 人は三十三年をひとつのことに関われば、新しいサイクルを迎えます。 17歳から過ごした三十三年を思い返して、魂の第二の旅を・・・と考えるこのごろです。
やまねこ(=^o^=)でおました。