自由の哲学とシュタイナー

ロダン『地獄の門』
ルドルフ・シュタイナー『人類の代表者』

2009年1月20日

はい、どっとこむばんは(=^o^=)やまねこです。
いつものように年明けの初回四国アントロポゾフィー・クライスの『自由の哲学』読書会に出てきました。クライスの活動もすでに三年目に入ります。講師のTさんの案内の下にこれまで『神智学』『神秘学概論』などを読み進めてきました。『自由の哲学』は、ルドルフ・シュタイナーの初期著作ですが、シュタイナーに関わる人たちにとっては、重要なテキストと見なされています。本書はシュタイナーが霊学的な表現をとらないで人間の精神活動の霊的な根拠と自由への志向を解き明かした本なのです。
私たち人間は、思考・感情・意志という精神活動を基本としていますが、思考活動の在り方の中に自由な存在として運命付けられた人間の人間たる本質が秘められているというのです。
講座を聞きながら今日はふと、ロダンの『地獄の門』を思い出していました。ロダンがダンテの『神曲』の『地獄編』をモチーフとした彫刻です。様々な地獄の風景をレリーフに描いていますが、中央によく知られた『考える人』があります。アダムとイブの堕罪、悪魔などを描いた地獄の門の中心に考える人が座っているのはシンボリックかな、と思いました。人間にとっての自由とは苦悩と堕罪を前提としているのですが、それはアダムが神の戒めを破って「知恵の実~リンゴ」を食べたからです。
このオリジナルな罪ゆえに人は、悪と罪と災いのあるこの世界に追放されたというのです。
しかし、それはまた「自由への扉」でもあったのでしょう。エデンと言う永遠の世界から追放された人間は、知恵の実を食べた報いに苦悩と罪にまみれた生に投げ込まれましたが、同時に「自由」も与えられました。自らの責任で生きることを課せられたのです。そして、自由への根拠として「考える力」が与えられたと言うことなのでしょう。

ロダンの『地獄の門』には、ダンテの言葉が記されています。

我を過ぐれば憂ひの都あり、 
我を過ぐれば永遠の苦患あり、 
我を過ぐれば滅亡の民あり 
義は尊きわが造り主を動かし、 
聖なる威力、比類なき智慧、 
第一の愛我を造れり 
永遠の物のほか物として我よりさきに 
造られしはなし、しかしてわれ永遠に立つ、 
汝等こゝに入るもの一切の望みを棄てよ 

この作品は、ルドルフ・シュタイナーによって作られたゲーテアヌムの巨大な木彫・・・『人類の代表者』をほうふつとさせるものがあります。
やまねこ(=^o^=)でした。

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