白狐の贈り物

2014年10月26日

はい、どっと・ちゅーんあっぷ(=^o^=)やまねこ庵でございます。
夢の里Y社長とお墓について語らっていました。 『どのようにして墓に入るか』をめぐってお墓論議をしていたのです。
「納骨用仏壇みたいなのが世話がなくていいね。全身脱落して山の石になるのもいい。」と Y社長は言います。
二人で近所のお墓を見て歩きました。眺めがいい高台の霊園です。
 
私は自分の運命を支配する力に身を任せている。  
そして、何にもしがみつかないので、私は何も守らない。  
考えを持っていないので、私は見る。  
何も恐れないので、私は自分を思い出す。  
超然と、そして気楽に、私はイーグルを飛び越えて自由になる。
 (『イーグルの贈り物』カルロス・カスタネダ)

先日は、金持ちケンカせずおじさんに聞きました。
「そろそろ、どう死ぬか考えたりしないの。」彼は御年、75歳なのです。
「うん、特に考えないね。だってお迎えが来たらしょうがないもん。」
彼は何気なく生きている人なので、何気なく死ぬのがいいと思っている様子。
人は、年を取ると死を抽象化しなくなる。 一種の諦念ができてくるのかもしれません。
やまねこも、彼らの影響なのか「死ぬ」よりも「日常生活」に向かい合っている感じ。
「お遍路の旅に出たら、どこに寄って何を食べるか?」といったオブシェクティブなテーマ に感心が向きます。
「人生とは?」などいう答えの出ない問いよりも「海老天うどん」や 「たらいうどん」の方が、より具体的かつ実感できる「人生の味」なんですよ。
「イーグルの贈り物」があるのならば「白狐の贈り物」もあっていいんじゃないのか? 白狐どんなら何を贈り物にくれるだろうかと考えたりもします。
お四国の旅、九州の旅と続く神無月の月末です。

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