2012年12月10日
はい、どっと・みっどないと(=^o^=)やまねこ山でおます。
「占いと癒しのイベント」 を済ませて、帰路ドームハウスに立ち寄ってくれたみゆきさんとtomokoさんと数時間 語らっておりました。
もっぱら、スピリチュアルとアートをめぐるフリートークです。
「ホンモノと贋物」を見分ける目について延々と語り合いました。 スピリチュアルな世界にも真贋は、明らかにあるというのが、三人の結論です。
ホンモノはいつも静かな平常心を保ち、贋物はセンセーショナルを好むこと、 ホンモノは評価を忖度せず、贋物は権威や評価に依存する、ホンモノは値踏みしないが 贋物は唯一の価値観を値付けに置く、贋物は「われこそは本物と主張する」がホンモノは 無関心である、贋物はきらびやかな外観を好むが、ホンモノは見立たない優美さを隠す 贋物は説得するが、ホンモノは沈黙する・・・などなど。
『ありがとう、ついてる』を連発する怪しさよりもわたしたちは密やかな感謝とともに つつましく大地の上を歩きたいと願う者です。
人類の終末とアセンションを声高に唱えながら、その実、20年後の老後のために蓄財するなど アホのやることだと思うのですがいかがなものでしょうか。
宇宙人バシャールに恋の悩みを解決してもらう時間があるのなら、 『朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり。』という孔子の言葉をかみしめるほうが賢明では ないでしょうか。
霊学的背景なくして、スピリチュアルにはまると果てしない自己欺瞞に陥ります。 わたしたちは、わたし自身の謎に取り組む以外にスピリチュアルな道はないのです。
絶えざる自己への問いかけ、そしてわたしという謎を通して世界の謎に関わることこそが 人間の営みのような気がします。
人生のマスターキーは、人が誕生から死まで歩みつくす道にしか見いだされることはあり ません。 アセンションを待ち望む方々へもう一度、考え直すことをおすすめします。 わたしもまた、道半ばのお遍路さんにすぎないのですから・・・。
『いかなる意味においても他者の中に自己を見失うことは、災いである。』ルドルフ・シュタイナー