2008年1月29日
『スピリチュアル・スロー・ライフ』ということについて考えています。
人はなぜ「スピリチュアルにハマる」のでしょうか。
香山リカさんの「スピリチュアルにはまる人はまらない人」を読んでみるとハマらない人には一定の境界ラインがあるように思えました。
にもかかわらず、昨今のブームですから、おそらくハマる人のほうが多いのでしょう。
精神科医の立場から、スピリチュアルの危険性や解離性を記号論的に分析してみせるといった手法の本なのですが、私から見るとなにかしら疑問が残る論点です。
香山さんのところにカウンセリングを受けにきた女性が、
「わたしの前世は何?精神科医ならそのくらいわかるでしょ。」と言われ困惑する香山さん・・・。
その一方でオーラや前世のテーマのスピリチュアル・トークで注目される江原氏が「精神的世界観を学ぶきっかけにメッセージを送ってるんです。」という江原氏の立場にいくらか理解を示しつつも「いつ、お金がはいるの。いつ彼氏ができるの。」としか反応しないファンに困惑しているのは江原氏本人であろうと結んでいますが、江原氏も香山さんも同じ立場に立っていることに気づいていないな、と思えました。
香山さん自身も、スピリチュアル・ブームに困惑しているようなのです。
スピリチュアルに多くの人がはまるのは、わたしは必然のような気がしています。
あの世やオーラや不可視の世界に救いを求めるほどに、現代は現実が重く苦しく、複雑で、ひとりひとりが不全感を持っている時代です。
そして、その不全感はカウンセリングなどの対症療法のみで解放されにくい性質のものではないかと思います。
精神的不全感から、全体性を失った意識にとって、スピリチュアルなテーマはひとつの光なのでしょう。
そして、スピリチュアル・ブームとはスピリチュアルな体験を通して全体性を回復しようというひとつの試み・・というふうに理解しています。
解離性や心の問題など個々の問題はそのあと・・ということではないでしょうか。
ところで、わたしは、数年前からスピリチュアルにはまる人たちが奇妙な「あせりの感情」にとらわれていることに気付きました。
全然こういったことに関心をもっていない人以上の焦燥感のようなものです。
わたしからみると宇宙や地球という全体性とつながって、身近なリアリティを生きるはずのスピリチュアル・ファンが焦るのは矛盾かなあ・・・と思案していましたが、最近その心境をなんとなく理解できたような気がします。
つまり、「わたしではなく、誰かになりたい。ここではなくどこかに行きたい。今ではなく未来を感じたい。」という変身願望と現実の息苦しさがその背景にあるようです。
「わたしがわたしでいられない」と人は確かに焦ります。どこか別な場所、誰か別な人、今ではなく過去か未来に行きたくなるのではないでしょうか?
そして、その息苦しさは加速したライフ・スタイル、複雑な関係、巨大化した社会システムに個人が巻き込まれてゆく「パラマウントな現実」の重さから来ていると思われます。
香山さんが指摘する解離性の危険ももっともではあるのでしょうが、個人が抱える解離はただ個人ではなく、この社会全体がかかえる問題だと思います。
スローライフは、そんな内なる加速化からまず、一歩離れてみるというスピリチュアルな姿勢のひとつと感じています。
自分が変身するのではなく、パラマウント・リアリティ※そのものを変化させる力を心のどこかで求めているのかもしれないと思うのです。
わたしたちひとりひとりが、魂の奥底に秘めた「夢見る力」を目覚めさせ、もう一度現実をナチュラルでスピリチュアルな世界としてとらえ直せたら、スピリチュアルにはまる人も、はまらない人もゆったり丸く、暮らせるかもしれませんね。(^o^)/
(※パラマウント・リアリティ・・社会全体に共有された現実感のようなもの。バーチャル・リアリティの相対的コンセプト)