2010年4月26日
はい、どっとこ・こむばんは(=^o^=)日だまりの日曜日、ゆるゆるとスローリビング について考えていました。
『知に働けば、角が立つ。情にさおさせば流される。意地を通せば窮屈だ。』 有名な漱石の「草枕」の冒頭ですね。 知性と感情と意志が偏れば、人の世は住みにくいというものです。 スローリビング日記というのは、実は「草枕」とよく似たブログテーマなのです。 やまねこ式に言えば 『知に働けばシステム社会。情にさおさせば、バーチャル体験。意地を通せば権威主義。 ・・・とかく人の世はマトリックス社会。』 そもそも効率至上主義とは、「時は金なり」という経済原理から来ています。 時給いくらという賃金は、原材料時価と生産効率から試算されます。
やまねこは、最近この「時は金なり」を疑っています。 ひょっとして「時はお金に代えがたきもの」と思われるふしがあるのです。 失われた時は二度と戻ってこないのですが、お金は所詮一時的なものという面があるから です。時は金なり・・とは、一定の生産ライン上の前提にすぎません。 したがって「お金に変えられる時間」とは、時給計算上は言えてもわたしたちの時間とは 必ずしも一致しないのです。 「いらいらと過ごすスローリビングまつやま2010」も八時間「ゆるゆる過ごす」八時間も同じなのですし、「むなしく 消える千円」も「楽しく使う千円」も同じお金です。 時は金なり・・・よりもむしろ「時はわたしたちの心のありかた」と深くつながっている のかもしれませんね。
過ぎてゆく時間をどのように過ごしてゆくか・・というテーマはそのまま「どんなライフ・デザイン で暮らしてゆくか。」に直結しているような気がするのです。 時間は無限にあります。 仕事時間も余暇も眠りの時間もわたしたちの暮らしを支えているものです。 あわただしいときもやすらかな時も、わたしたちの心のありかたを離れては流れないのでしょう。