出雲大社への道2004~2013

2013年8月18日

はい、どっと・こむばんは(=^o^=)やまねこ庵でございます。
出雲大社のことを考えていました。10年前に退院後、快気の感謝と叔父の鎮魂もかねて出雲大社 を参拝したころのことを色濃く思い出していました。ちょうどこのブログを書き始めたころです。 平成の大遷宮の工事が始まった五年前にも参拝しました。
そして今年は、伊勢神宮と出雲大社の遷宮が同時です。 2013年は、ネクスト・ヴィジョンをはぐくむには良き年と思っています。 出雲大社でふたたびパワーをいただき新たな道にリセットしたいと考えています。

出雲大社への道 
2004 夏の盂蘭盆の前に出雲大社へ参拝した。7月に叔父が亡くなり、供養と鎮魂をかねての参拝だった。 松山分詞の宮司さんからの誘いもあり、二つ返事で夏の大祭参拝ツアーに申し込んだのだった。 自分にとっては7年ぶりの出雲だ。父が亡くなって以来、人生上のさまざまな変転とカルマ的な 問題にかかずらっているうちに早くも7年が過ぎていた。 7年前の冬以来の「お国帰り」だ。(大社の信徒は参拝をお国帰りと言う)
ひさしぶりの「死の国」出雲は雰囲気は以前のままだった。 広島から出雲神話街道をバスでひた走り、三刀屋町から斐伊川沿いに大社町をめざす。 満々と水を湛えた斐伊川は行けども行けども葦の川原が続く・・・祝詞にかたられるように 「豊葦原瑞穂の国」とは、そんな古代の風景をそのままに残す出雲にこそ似つかわしい。  
大社のある島根県では、今でも大社よりも高い建築物は条例で禁じられているらしい。 都市開発・経済発展よりも「霊性と文化」が守られる頑迷固陋な土地柄がそうさせるのだろうか。 それとも、神々の力に今も守られているからなのだろうか。
出雲が近づくにつれて山並みのかなたにそびえる入道雲がめだつ。これも万葉集の「八雲立つ出雲」 という枕詞そのままだ。
バスは4時間かけてやっと稲佐の浜にある民宿にたどりついた。古事記の「国譲りの神話」の舞台 となった浜だ。 現在は観光地・海水浴場となっている。目前には小さな島・・・弁天島が夕日に陰影を見せる。
古事記によると天照大御神から国譲りをせまられたオオクニヌシは、末子のタケミナカタに交渉に あたらせる。天照につかわされたタケミカヅチとタケミナカタはこの浜で力比べをした。 タケミカヅチを相手に怪力で投げた岩が弁天島なのだという。 しかし、タケミナカタは敗れて敗走する。落ちのびて鎮まった場所が諏訪湖のほとりの諏訪大社だ。 御神渡り(おみわたり)で有名な神社。 タケミナカタの敗走のあとオオクニヌシは「国譲り」を決意して天照に申し出る。 それはこの国のまつりごとは天照大御神にまかせ、オオクニヌシは神事と幽斎事(かくりごと)の 主宰神となることだった。そしてその証に杵築の浜(現在の大社町)に神殿を築くことだった。 以来「まつりごと」と「かくりごと」は天皇家と出雲の暗黙の契約となった。
だから、今でも天皇家は毎年、出雲に詣でて草薙の剣奉献への感謝の神事に出席するという。 そして、日本中の神々と祖霊は毎年10月には、出雲に集まる。神無月のことを出雲では神有月 (かみありづき)というとのこと。大社本殿のわきに神々の旅籠とされる社が軒を連ねているのも うなずける。
大社には真菰の神事やカガチ(うみへび)の神事などきわめて原型的な古代のオカルティックな神事 が伝わる。 幽冥主宰の神・・オオクニヌシにふさわしい太古の霊性を秘めた儀礼といえるかもしれない。
民宿について食後、夕闇が迫るころに信徒のための夏の大祭に参加した。
大社神楽殿で信徒700名が祝詞と御祓いを受ける。 勇壮な太鼓と幽玄な笛の音、巫女さんの神楽の舞いとともに神事がはじまる。 奏上される祝詞は古式ゆかしい。真言密教の陀羅尼に似て、呪力のこもった深い響きのある祝詞だ。
そして、宮司さんの案内で神楽殿を出て、暗がりの道を本殿に向かう。おのおのに渡されたのは 小さな鈴。本殿に着くと暗闇の中で大社が青い照明でライト・アップされていた。 幽玄だが、一種異様なたたずまいだ。 信徒がそろうと玉垣の中に案内された。 社(やしろ)の真上、夜空を見上げるとちょうど天頂近くに北極星と北斗七星が位置していた。 社殿を照らす、青い照明が消える。漆黒の闇だ。誰も一言を口を利いてはいけないらしい。 お守り鈴を手に手にみんな押し黙って社殿を左回りに一巡する。闇の中で鈴の音だけが響く。 普通は死を連想させる左回りは避けることが多いのだが、ここではこれが正しい向きらしい。 拍手も四つだ。これも普通ふたつなのだが・・・。ここでは死はタブーではない。
再び本殿の前に戻り、宮司さんが祝詞をあげる。闇の中に祝詞と笛の音が響きわたる。 鎮魂幽斎の神・・オオクニヌシの神の神威を召還する古代そのままの儀式の厳かさに胸を打たれる。 この神事を執り行うのは代々出雲大社国造(こくそう)である千家宮司だ。 初代の国造はアメノホヒノミコトという神とのこと。現在は第八十四代目にあたる。 神の前で、父と叔父の鎮魂を一心に祈る。
神事を終えて、神楽殿に戻り、宮司さんの神諭に耳を傾ける。 「御親大神様とご先祖への知恩、謝恩報恩」について話された。 神諭の話題の中に「マイスター・エックハルトの神人合一の考え方はわたしたちにもあります」 というところが興味深い。 魂鎮めとは同時に帰神を意味する。人の内なる神の分霊への帰入をもとめるのだ。 宮司さんは「神人合一とは、わたしたちの幸御霊と奇御霊がみ親大神様の幸御霊と奇御霊と一致 することです。」と言う。神人合一の道は神秘学の基本テーゼだ。
「縁結びの神」として名高い出雲大社は、今も古代の霊性を往古のままの姿で残している。 その素朴な佇まいと荘重な神事が奇妙に共存しているように思われた。そこには古拙とも言える おおらかな「神遊び」の趣があった。 こんな風に言うと伝統回帰だ、復古思想だと現代のクリティックな知性は言いたがるかもしれない。 また、単なるノスタルジーと通り過ぎる人もいるだろう。確かに自分もかつてそんなふうに 伝統文化を斜に見ながら通り過ぎてきた世代だ。
出雲の社の神の庭でかつて歩んできた道を振り返りつつ巨大な社殿に向かう黒松の生い茂る参道を 歩んでいると、神さびた風景と遠い記憶の底から「民族の霊」の木霊が響いてくるように思われた。
拝殿の鳥居の前庭にオオクニヌシの巨大な神像がある。 波頭の光球に向かって、オオクニヌシは語りかける。  
吾は  汝の幸御霊  奇御霊なり  (あは、いましがさきみたまくしみたまなり)


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“出雲大社への道2004~2013” への3件の返信

  1. 出雲大社、元々はもっと大きかったそうですね。
    出雲大社に古代日本史、特に出雲神話の謎が隠されていると思います。

    • 地下には、古代の遺跡がこんなに綺麗な状態で残ってるんですね。ビックリ👀
      その内、人間は、マトリックスのザイオンみたいな所に住む様になるのかな?地上は、破壊されちゃって。と思ってしまいました。

      出雲は、2013年が、最後。
      そろそろ、お国帰りしたい気分です。

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