2008年5月8日
ひさしぶりにお四国遍路仲間の友人と会っていました。
友人ではありますが、今で言う「後期高齢者」の人ですから、わたしよりも30歳近く年上です。
高野山に行ってきたとのこと。数度目の参拝で、最近はトンネルの道も抜けて、四国からの高野山は以前よりずいぶん参りやすくなったとのことでした。
わたしも父が亡くなった翌年にお位牌を持って、お参りして以来ご無沙汰していますから、13回忌の来年は是非満願の高野山をと考えています。いろいろと彼の旅の心得やアクセスなどについて、耳を傾けていました。
高野参りは、お四国を参る者にとっては、発端であり、最後の霊場でもあります。
前回、ふと奥の院を参ったときのことを思い出していました。
あの奥の院の重々しい山門と墓地と原生林は峻厳な霊気に満ち溢れています。苔むした数々の墓標、供養塔は歴史上の著名人がほぼすべてといっていいほど勢ぞろいしています。
不思議なのは親鸞聖人など他宗派の宗祖の墓もあることです。おそらく分骨されたのでしょう。
それほどに高野山は、宗旨・宗派を超えた日本の原風景、霊験の山と信仰されて来たのでしょう。
そして、あの奥の院の灯篭堂への橋をわたるとすでにそこは「この世」ではない霊地との印象があります。空気が高振動で震えているようです。ここは弘法大師がご入定された地であり、今も朝夕、食事が僧侶によって供えられています。今も大師は生きていると信仰されているのです。
地下の灯篭堂はしんしんと冷えた冷気の中、無数の献灯が赤々とと揺らめいていました。その中に有名な『貧女の一灯』があります。
昔、高野の麓の村の貧しい農家の娘が病気の両親の回復を祈って自らの髪を切って売り、献じられたという貧女の一灯は1000年を経て今も赤々と燃え続けているといいます。
多くの巡礼者を迎え入れる峻厳な修行の道場・・高野山は1200年を過ぎてなお日本人の魂の故郷の霊地となっています。
お四国を参る者にとっては、この世にあるものこの世を去った者の区別なく、「願いを結ぶ」最後の安息の霊場札所でもあります。
来春までには、是非お参りしたいと思っています。