サイレント・パワー・フィールド

2014年5月22日

はい、どっと・みっどないと(=^o^=)やまねこ通信でござります。
五月にパワー・フィールド(結界)が完成して以来、不思議なくらい静かな暮らしが 続いています。「時間を空間化した」という印象です。
もう少し、わかりやすく表現すると『自分と言う場所を確認した』とも言えるかもしれません。 ますます、わけがわからない表現かもしれませんね。(笑)
暮らし方=ライフ・デザイン的な表現をすると「自分らしい生活感を楽しめるようになった」 ということでしょうか。
現代は何らかの意味で「ストレス社会」ですから、誰もが「心の問題」を抱えている時代とも 言えます。それは具体的にはお金だったり、健康だったり、仕事だったり、人間関係だったり、 生活環境だったりしますが、様々なストレスとのつきあいでもあるということです。
そんな社会環境にあって多くの人たちが恐れるのは「孤立の不安」と「愛されない不安」だと 多くの心理学者や精神科医が指摘しています。
「一人ぼっちで愛されない」という不安をアダルト・チルドレンとよく表現します。 あるいは閉塞感とか漠然とした機能不全感とも言われ、「無縁社会」なのだと言う人もいますね。
孤立した自分と愛されない自分の間を行きつ戻りつしながら「心の問題」を抱える人は決して 珍しくないということなのでしょう。そんなきっかけから、心を病む人も増えていると・・。
やまねこは、最近気づいたのですがこれは少なからず「幻想」であり、「思い込み」です。
そもそも「孤立したわたし」も「愛されないわたし」も自分が作り出したものだからです。 この二つの不安とは「借り物の生活感」にはまっているだけなのかもしれないのです。
もし、メロドラマであればこうしたセルフ・イメージは必須の条件ではあります。
「ひとりぼっちのわたし」がいなければ「あしながおじさん」も現れませんし、 白馬の騎士も出番がありません。誰かほかの人に理想の人物を演じてもらう必要もなくなり 名脇役やレスキュー部隊も不必要になります。周りの人間関係をキャスティングしたり 監督しなくても良くなるのです。書割も舞台も不要。
そうすれば、「わたしを場所として生きる」のも楽しい作業になるのかもしれません。
人生と言うメロドラマを生きることは誰にも要請されていないという単純な事実さえ認めれば わたしたちは『自分を主人公として楽しく暮らす自由』もまた与えられているのでないかな。
人生のメロドラマを生きることから脱出すること。 それはとりもなおさず、「今、ここで、わたしを生きる」ことに意味を感じることなのです。

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