メンタル・コーチとヘルメス学

2011年2月21日

はい、どっとこ・こむばんは(=^o^=)やまねこですよ~。
メンタル・コーチングについて再び考えています。
一般に神経言語プログラミングや スポーツ能力開発の分野で注目されるコーチングですが、これは個人生活にも応用でき ます。しかし、この場合はコーチは専門技術に精通した他人・スペシャリストではなく 自分自身なのです。
何故ならば、「私の専門家」とは私以外にはあり得ないからです。 税務の専門家ならば、会計士・税理士にたのむ方がいいのですが、ことわたしの人生 ということになれば、私に頼む方がいいからです。

※コーチング
コーチングとは、人材開発のための技法のひとつ。
「コーチ」(COACH)とは馬車を意味し、馬車が人を目的地に運ぶところから、転じて「コーチングを受ける人(クライアント)を目標達成に導く人」を指すようになった。よく知られたところではスポーツ選手の指導があるが、現在では交流分析や神経言語プログラミング(NLP)などの手法を取り入れてビジネスや個人の目標達成の援助にも応用されている。 市販の書籍などには「傾聴」から始まってさまざまな質問の仕方などが載っているが、教科書に書いてあるままの質問を投げ続けるだけではコーチングにはなりえない。経験と心理学に関する素養などに基づいて、適切な分析と判断を行った上での質問でなければ、本来の効果は期待できない。また、スキルコーチングで多用される「課題」も本来めざしているスキルを育てるためのものでなければならず、難しすぎても簡単すぎても意味はない。 これらの「コーチングスキル」をベースとして、認めること、共感などの心理的なテクニックを用いながら、コミュニケーションをとり、モチベーションを高め、能力を伸ばし、スキルを身につけさせていくのがコーチングの技術となる。

モチベーションとは、「意欲、やる気」です。スキルとは様々な専門的な経験知です。 そして、メンタル・コーチとは、自らの経験知とスキルとセルフ・マネージャーとしての「わたしの 人生の総体」と「人間の総体」と言えるでしょう。 つまり、セルフ・コーチングとはすでに明らかになった人間についての知識と技術を自分と言う 人間を通して、試みるということになるでしょうか。
多くの可能性開発の誤りは、人間に可能なことはすべての人に可能・・・と読み違えてしまう ことです。「餅は餅屋」のことわざに倣えば、自分の担当する可能性については、自分が よく知っている筈なのです。
一度もスポーツを楽しんだことのない人が、スポーツ選手になる ことはまず、ありません。
ゆえに一度も人生を楽しんだことのない人に”人生を楽しむ妙味”を知ることは自分を通して は不可能なのです。多くの啓発本が役に立たない理由はここにあります。
「人生を楽しむ」とは、「自分を忘れるほどに夢中になる」ということです。 そして、「夢中になる対象は自分ではない」ということ。
にもかかわらず、「自分から学ぶ セルフ・コーチング」をめざすとしたら、それは自分の中に多くの専門知を極めた他人を 探すプロセスということになります。
そして、「私の中の他人」とは、とりもなおさず客観的な事実と事象のプロセスということに なるのでしょう。
日常を対象として観察すること。それは、私とは別なところにある何かです。 その本質を見極めること。 それは、「瞑想」とも言われます。
多くの願い、出来事、記憶、経験、論理と検証、直観知の総体としてのわたしという現象は ビーカーの中の液体のように再追試され、試行され、蒸留され、分析され、微分され 積分されて、やがて「ただ一つのリアリティ」にまで高められます。
それは、鉄鋼石から鋳鉄生み出し、鋳鉄から鉄の剣を打ち出す冶金技術に似ています。 自分と言う人間に取り組むコーチング。それは、ちょうど刀鍛冶のようなものかもしれません。


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