自由とマインド・コントロール

『わたしは心を閉じる』

2009年5月15日

はい、どっとこむばんは(=^o^=)やまねこどすえ。今日は、舞妓さん風です。今日から公開の『天使と悪魔』を明日観にくつもりのやまねこは「自由とマインド・コントロール」について考えていました。
一般に他人の意志の支配を受けることをマインド・コントロールといい、一定の強制的手法を伴えば「洗脳」と言われます。洗脳は「人格破壊と改造」といったスタイルをとりますが、後者は、当事者も気づかないうちに他者の意志に支配されてしまうこともあり、少し注意が必要です。
たとえて言えば、過労死は洗脳の結果ですが、恋愛はマインド・コントロールに似ています。過労死に至る労働至上的価値観は、多様なイデオロギーが一極に固定された特殊な精神状態に追い込まれる自爆装置とも言えるものですから、洗脳に似ていると言えるでしょう。一方、恋愛は中身が「愛情関係」であるだけに「あなたの虜になりました」というのは、他者の支配を全面的に受け入れるということになりますね。ただ、このふたつは「いつでもやめる自由が確保されている」ために洗脳ともマインド・コントロールとも言えない側面を持っているのです。真のマインド・コントロールは、本人の自由意志に強く介入するものであるからこそ、危険なのです。ベスト・セラーとなったスティーブン・ハッサンの「マインド・コントロールの恐怖」によれば・・・

『私達は、その時その時で悩みを抱えていたり、たまたま暇な時間を
持て余していたり、内向的に自分を深く見つめている時など
あらゆる場面を持っています。人間は 誰でも心に隙や渇きを持っています。
偶然、相手と相性が良かったり、道で声をかけられたり、親切に
相談に乗ってくれたり、また溢れるような愛情表現をされたら、
それを拒否できるでしょうか。マインド・コントロールの第一段階は、
人と人との距離感や、その人の生育歴などが影響し、まずは相手に
警戒心を持たせない巧みな交わりの中から、土に種を蒔くように、
初期段階を固めていきます。相手を騙して強引に引っ張り込む
パターンもありますが、そういう所は団体名を知られているので、
正体を隠し近づいてきます。わざわざ自分から、マインド・コントロールを
かけて下さいと申し出る人などいません。この対人距離の取り方、
迷いや寂しさを埋めるという当初の目的を果たせばマインド・コントロールの
初期段階は終了ということになります。もちろん、本人には そんな事実を
知る術はなく、興味のある場所が出来たくらいにしか感じません。

とマインド・コントロールの導入段階について指摘しています。コントローラー達は、誰でもが抱えているような「心の隙間」に入り込んでくるのです。大抵は、親切でフレンドリーなスタイルで。これをラポール形成と呼びます。信頼関係をまず作るわけです。そして信頼関係が出来始めると「壁の形成」へと進みます。内部と外部にしきりを作るのです。そして、出来る限り外部との情報を遮断するために社会一般への不信感や恐怖を植え付けてきます。また、これまで培ってきた本人の人生観への否定や不信を持つことも伴います。そして、凍結と人格破壊へと進み、新たな価値観による人格改造を経て、コントロールが完成します。恋愛もこれと良く似た過程をたどりますね。
マインド・コントロールが、恋愛よりもはるかに危険なのは「新たな価値観と人格改造」は、はじめから決まっていて個人に属さない一定のシステムの中に個人を組み入れて、完全に支配する目的で行われるからです。
そして、マインド・コントロールの結末は、人格破壊しかないのですが、恋愛は多様な結末を迎えるということなのでしょう。やめる自由があるということは、支配から自由な余地があるということなので何らかの学びもあるかもしれません。
恋に夢中も自由なら、恋が冷めてしらけるのも自由ということかな。
マインド・コントロールに、そんな自由はないようです。やまねこ(=^o^=)でおました。

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