バイオ・グラフィー・・・自分史

2008年6月16日

ある同人誌に掲載するために原稿を書いていました。
後半は、書けたのですが前半を自分史(バイオ・グラフィー)で綴るということでしばらく記憶の海を深く潜行していました。

わたしは、2歳くらいまでしか過去の記憶をたどれません。
よく母親の胎内の記憶を覚えている人がいますが、やはり多少なりとも自分をぼんやり意識し始める2歳の後半くらいが記憶上は「私の過去」に属しているのでしょうか?
2歳当時の親の引越しというのがわたしの最古の記憶です。父の車(オート三輪)に乗せられて松山市に宇和島市から帰ってきた時の鮮明な記憶。家の天井には明かり取りの天窓があったこと・・
そのときは母が出かけており父と兄と冷たいご飯を食べたことを覚えています。
そのあと母は赤十字の看護師であったため祖母の家にわたしを預けました。
3歳から5歳まで祖母の家で過ごします。疳の虫がひどくて、祖母はしばしばカタツムリをわたしに食べさせました。
祖母が取ってくるカタツムリという虫が紫陽花という花にいることをその時教わりました。4歳になっていたと思います。祖母の家は、お墓守りのお堂とお寺を兼ねたような村落墓地でしたから、 わたしの幼児期の遊び場はお墓でした。
頭が尖がったお墓と四角いお墓の中で遊び、時々やってくる「バス」という怪物に石を投げました。
後で母に聞いたところでは、バスは怪物ではなく、怪物君はわたしでした。(=^o^=)
祖母は車掌さんに怒られて、悪ガキのわたしに手を焼いたということでした。

幼い日の記憶と言うものをどなたもお持ちでしょうが、わたしの過ごしたのは三丁目の夕日の時代東京オリンピックの数年前です。
松山のような地方都市では、まだまだ道路は舗装されておらず、バスのような大型車両が走ると土煙が立ちました。
たぶん、土煙を立てて走るバスの轟音と巨大さを「怪物」ととらえたのでしょう。
なんだか風車を悪魔に見立てて戦うドンキ・ホーテみたいですね。(*^o^*)
われながら、あきれた悪ガキぶりです。

あの頃から考えたら、少しは成長したかなと思っています。
やまねこでした。(=^o^=)

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