メンタル・ヘルスを考える1

2008年4月28日

今日は、検診日なので病院に行っていました。
半年に一回の精密検査です。血液検査、レントゲン、心電図、心臓エコー検査をしました。
先生によると『心臓の深い傷は残ってるけど、まあまあ動いているね』とのこと。低速回転の心臓なので、無理は利きませんが、まずまずかな。

このところメンタル・ヘルスについてよく考えます。
少し奇妙な考え方かもしれませんが、「内なるもの」と「外なるもの」を整理しています。
普通、プライベートなことが「内内のこと」であって、オフィシャルなことが「外向きの生活」という風にとらえます。
でも、それは社会生活上の内と外ですよね。
親友は内、単なる顔見知りは外、家族は内、会社関係は外・・などといったようにです。
しかし、わたしたちは、精神生活においても内と外を持っています。
この場合は、主観が内であり、客観が外です。
「わたしが思っているだけで、本当のところはわからない」という場合は、主観であり、 精神現象上、普遍的に当てはまる場合は外です。
しかし、わたしたちの精神生活の多くは主観的に営まれています。
精神現象に関わる限りは、この「内と外の問題」はやっかいです。
人と議論をしているとよくわかります。それぞれの主観で捉えたことが、どこまで客観かとてもあいまいなのです。物理・数学的な問題なら、ほぼ客観は普遍的なテーマになりますが、それは物質次元と論理性のみにおける客観です。物質と論理に従うしかない客観とも言えるでしょう。しかし、わたしたちは
それだけですべてを説明できないからこそ人間なのでしょう。
機械ならば、物質と論理とアルゴリズムで説明できます。しかし、わたしたちには機械やロボットにない何ものかを持っており、動物や植物にないなにものかを持っているのです。
それをとりあえず、精神と呼び、精神の主観と客観・・内と外がありえると考えられます。
わたしたちが、心の問題呼ぶものは、ほぼすべてこの主客に関わっていることは確かです。
わたしは、メンタル・ヘルスの問題は、この内と外を整理して、発展させることだと思っています。
哲学という学問的な分野の問題ではなく、「今生きているわたしの問題」としてそう思うのです。
哲学者ルドルフ・シュタイナーは、『主観と客観の間には深い深淵が横たわっている。』と言います。
そして、その深淵を越えることができるのは、「認識と芸術だ。」というのです。
それは、わたしたちが人生の本質を考えるとき立ち上がってくる基本的なテーマでもあるのでしょう。
認識とは、普通「生きる意味」と表現されたり、「かけがえのなさ」と言われたりします。
芸術とは、「愛すること」と表現されたり「幸せ」といわれたりします。
愛することと認識、そして生きがいと幸せを人間は求めてやまない存在なのでしょう。
そして、それらはともに『自由』という至上の課題を求めることにつながっているような気がします。

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