ノマド・ライフを考える

『ノース・スター』 ダリル・ホールとロバート・フリップ

2012年7月13日

はい、どっと・雨がふりますね。(=^o^=)やまねこ梅干しでございます。
すっぱい雨の季節です。いつまで続く梅雨時かな。
さて、最近はやりの『ノマド・ライフ』という生き方について考えています。 「できるだけモノは少なく、楽しみはできるだけ多く」をモットーとするノマド・ライフ とは、いわば当世のシンプル・ライフ、遊牧民的生き方をさしているようです。
『私は、理想のノマドになる条件の1つとして、「モノ」からの開放があると思っています。よく巷で語られる、「社畜をやめて独立する」というのは、あくまでノマド論のほんの小さな一部分に過ぎず、ノマドの本質は、「精神的にも物理的にも自由な生き方を追求する」ことだと考えます。その生き方を追求する上で、「モノ」の役割は私は非常に大きいと私は思っております。人は良くも悪くも「モノ」に左右されて生きているからです。』(「ノマド・ライフ」)
最低限の住まいと通信端末とお気に入りの仕事があれば、あとは身軽に楽しく生きる、 という現代版「スモール・イズ・ビューティフル」の哲学とも言えるでしょうかね。
『スモール・イズ・ビューティフル』の中でシューマッハは次のように述べています。  
「奇妙なことであるが、技術というものは人間が作ったものなのに、独自の法則と原理で発展していく。そしてこの法則と原理が人間を含む生物界の原理、法則と非常に違うものなのである。自然界のすべてのものには、大きさ、早さ、力に限度がある。だから、人間も一部である自然界には、均衡、調節、浄化の力が働いているのである。しかし、技術にはこれがない。というよりは、技術と専門家に支配された人間にはその力がないというべきであろう。」
どのような時代においても、時には流れがあり、バイオリズムがあることは世の中の原理でしょう。
シューマッハはまた「ふるさと派」と呼ばれるコンセプトを掲げ、急激に進展する都市化は抑えるべきであるという考え方を示しました。
少しずつ、消費生活にブレーキをかけながら、自分サイズでゆったり生きるという当世若者気質 には、サステイナブル社会への変化が垣間見えます。
出世したり、エリートになるべく努力することだけが生きる指針というわけではありませんから こういう生き方も知恵の表れかなとやまねこは思う次第です。 ノマド・ライフを楽しむシンプル族の反乱は近いかな。

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