2012年7月1日
はい、どっと・もーにんぐ(=^o^=)やまねこ山でおます。
梅雨の終わりと夏をひかえています。インドは雨季と乾季にわかれていますので雨季の 雨の多いシーズンは「夏安居げあんご」ということで洞窟などで瞑想をして過ごしたという お釈迦様の時代の慣習です。
夢の里でも雨ばかりなので、夏安居にはふさわしいかな。 ヒーリングをテーマに瞑想をしています。というか、瞑想もヒーリングのひとつですよね。
心とからだを宇宙にチューニングするというのが、ヒーリングということなのでしょう。 自然界の大きな流れと調和して生きる・・・ということは人間にとって基本的なことなのですが、システム化された現代生活の中では、看過されやすいテーマです。 運動不足な都市生活ではスポーツジムが必要なように過度なシステム化にはヒーリングが 必要・・・というわけで「心とからだをゆるめる」ヨガ、気功、整体、マクロビオディック などが見直されています。
好ましいこととは思いますが、前提にストレス過剰な生活が横た わっていることも確かでしょう。 わたしたちは、「癒し」を求めて緑豊かな野山、海辺、渓流を散策します。そして仕事のために 再び都会に帰ります。一方、田舎暮らしをしている人は、緩みすぎた心に刺激と消費を求めて 都会に出かけます。田舎人にとって都会の喧噪や華やかさはある意味で「癒し」となります。 「癒し」とは、心と体の状態であって、都会か、田舎か?というものではありません。 一定の抑圧、単調化によるストレスから解放されて『自由な心のありかた』を求めることに関わ っています。
エイブラハム・マズローは、これを『至高体験』と呼んで、重視しました。感動、解放感、快楽 などが心の枠組みを大きく変化させる働きがあるというのです。芸術家や発明家はこの至高体験 を普通人よりも豊かに高めている人と見なしています。
至高体験とはわたしたちがかかえる日常の 些末な問題や小さく複雑な悩み、人間関係のストレス、お金、トラブルといった「悩みの種」を 吹き飛ばしてくれるもの・・・そんな起爆剤のような体験をさしているのでしょう。 そこから「ポジティブ心理学」のようなものが生まれ、解放感を求めて様々な癒し、ヒーリング が求められているような気がします。
やまねこは、これらの流れを否定しません。というか、半分以上正解!と思います。 しかし、半分は謎が残ります。
果たして「日常」とはなんなのでしょうか。わたしたちが日々出会うルーティーン、雑事 トラブル、問題の山とは何を意味しているのでしょうか。 おそらくは、取り組むのに骨が折れ、問題が山積し、退屈で、単調な毎日です。 ストレスは明らかにそこからやってくるのです。
おそらくはぶんぶんとわずらわしい夏のハエのような日常・・・・もしそれが「至高の世界」 だったとしたら、どうなのでしょうか。ひょっとしたら、そうかもしれないという謎をかかえて いるのはわたしたちです。もしそうだとすると・・・。
ただ、一杯の珈琲が『至福の体験』となることもあるのではないかな。