森の哲学者5

夢の里とべ 奥池
夢の里とべガーデン 梅
『借り暮らしのアリエッティ』セシル・コルベル

2012年3月22日

はい、どっとこ・もーにんぐ(=^o^=)畑仕事を楽しんでいます。
庭の七坪くらいの花壇をきれいに草刈して、少し石灰を入れ、腐葉土を撒いたあと先週 種まきをしました。セイジなどいくつかハーブの苗も植えてみました。畑には花の種と蓮華の種 ダイコンの種をブレンドして、全体に振り掛けました。
しばらく水まきをしていると産毛 のようにダイコンと蓮華の芽が出てきました。なんだか、ウハウハした気分がします。
これは、バイオスフィア(生命圏)の緑のオルガノン(器官)なのです。 小さな黄緑の芽たちを見ていると愛しくもなってきます。
もし、これが模造品の種であれば 何も生えてくることは無いはずです。命あるものだからこそ、太陽と大地と水と養分のもと に芽吹きをもたらすのです。
あまりに当然な自然の営みなのですが、そんなありふれた生命の営みにすら目を向けること 少ない都市生活。あまりに多くの人工物に囲まれた都市環境は命の営みを忘却しているかの ようです。これは、日本の都市特有で欧米ではむしろ部分的な現象かもしれません。
今の日本人について『美しき日本の残像』より、アレックス・カーの言葉を引用してみまし ょう。アレックス・カーはカリフォルニア大学の東洋学の教授でしたが、20年にわたり 日本に住んでいた日本通のアメリカ人です。 『人類が宇宙に移り住む時代が来たら、日本人は一番スムーズに宇宙での生活に慣れるでしょう。その理由は宇宙には、木、草、花、鳥、動物、美術、文化的な街並みなどないからです。 宇宙船の中、あるいは月の上の殖民基地はアルミと蛍光灯の世界です。他の国の人たちは時々自然の森や生まれ故郷の美しい街並みを思い出して、地球に帰りたくなる。けれども、、日本人は日本を思い出してもアルミサッシ、蛍光灯、空に聳える鉄塔、コンクリートとガラスの町しか思い浮かばないので、月面での生活とそう変わらないはずです。』             アレックス・カー著『美しき日本の残像』より
自然環境と共生してきた日本的美学は失われつつあるのかもしれません。
バブルが崩壊してすでに20年が過ぎ去りました。日本もそろそろ、都市環境の過度なシス テム化人工環境化を再考すべき時代なのでしょう。自動車に乗る機会を減らして、自転車に乗り、 農園を耕し、生活をスロー・ダウンする知恵が求められつつあります。
そして、もうひとつは「地球は丸い」ということを実感する必要があります。フラー博士は 「上下」の概念は、実は地球が平面と信じていた時代の遺物だというのです。 あの世とこの世、天と地、物質と精神といった二元性は、地球を面とみなし、すべてを平行線で 分割する思考から来ていると指摘するのです。 球体の思考に従えば、わたしたちは中心に向かう「内なるもの」と多方向に分散する「外なるもの」 しかありません。
競争社会は完全に終わりつつあります。 上下という幻想はこの宇宙空間は存在しないのです。地球は丸いという事実に即した思考をすれば わたしたちは、この丸い「宇宙船地球号」の乗組員として、生命圏=バイオスフィアで 「内なる方向」と「外なる方向」という宇宙を調和させる知恵を求めるべき時代と言うこと なのです。

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