森の哲学者2

夢の里の奥池
夢の里の奥池

2011年10月27日

はい、どっと・こむばんは(=^o^=)やまねこでおます。
設計士コッシーさんとドーム・ハウスをめぐって、話し合っていました。
やまねこは、最近もっぱら「住まいの快適空間」について考えています。
夢の里とべという森の高台に暮らし始めてすでに一年を過ぎ、あらためてヘンリー・D・ソローの『森の生活』について再考しているということなのです。そして、もうひとつのこだわりはオカルト・サイエンスとしての神秘学・・・発端はグルジェフの『森の哲学者』の目指したものとは何か?というテーマ。概念としてではなく、実際問題としてやまねこは「森の生活」について考えているということです。
それは、町場に近接する夢の里という環境が問いかける「森の哲学」とも言えるでしょうか。
一般には、人工物に囲まれた都市環境の対極が自然に囲まれた「森の生活」です。
かつて離村・離農ということが大きな社会問題となっていました。その原因は田舎には仕事がなく、仕事を求めて都会に働き手が流出したためでした。
しかし、現代は都会に仕事がなく田舎に農業の仕事を求めたり、野ギャル(野良仕事を体験をするギャル)が出現したり、セカンド・ライフを求める時代となっています。
より良き経済生活よりもライフ・スタイルの方がウェイトが高くなる傾向が見られるのです。
わたしも、セカンド・ライフ、ロハス・ライフに憧れて、大地に根ざした生活、エコロジカルなライフ・スタイルを求めるひとりで、オーガニック・ライフを試みたい考えていますが、そもそもオーガニックとは何なのでしょうか?
有機農業、自然食、整体、玄米正食などとともに環境に負荷をかけずヘルシーなナチュラル・ライフ全般をさしてよく「オーガニック」が用いられます。諸々の環境問題が取りざたされ、添加物などの食の安全が叫ばれているだけにオーガニックは時代のキー・ワードとなっています。
わたしは、ナチュラル、自然素材にこだわり、健康のためにオーガニックな生活を心がけることは大切なことと考えていますが、それ以上に「精神のオーガニズム」を求めています。


もともとオーガニックという言葉は、オルガン・・これはギリシャ時代の哲学の祖アリストテレスの『オルガノン』から来ています。世界を観想する人間の精神的な器官を指しているのです。
農業や食品や生活素材に用いられることが多いオーガニックですが、本来は精神的なオルガノンから端を発しているのです。
ゆえに近代哲学の経験主義の祖 フランシス・ベーコンは、科学的世界観で自然を支配する哲学を打ち出したときに自身の思想を「ノウブ・オルガヌム=新器官」と名づけました。
古代のオルガノンから近代のオルガノン=新器官へ。それは近代社会の夜明けを告げるものでした。そして、時代は下り近代の終焉が問われる混迷の現代はさらに新たなオルガノンを求めるべき時代なのかもしれません。


二十世紀ロシアの神秘学者で数学者のP.Dウスペンスキーはいみじくも『ターシャム・オルガナム』=第三器官という著作を残しています。
ウスペンスキーは二十世紀最大のオカルティストG.Iグルジェフとともに、フランス フォンテンブローの森に『人類の調和的発展のための学院』を創設し、新しい時代のための神秘的なワークに着手したのでした。
このグループはフランスでは「森の哲学者」と呼ばれ多くの芸術家・作家・科学者を輩出しました。森の哲学者とは、新しき時代のための認識機関・・・ターシャム・オルガノンを求める芸術家・神秘家のグループであったことは、この2011年に住むわたしたちにとって示唆的なテーマかもしれません。


やまねこは、まもなくまったく新しい時代が始まる予感を日々強めています。ある意味でそれは「哲学する」ことが最も重要かつ必須の時代とも言えるかもしれません 。

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