ライフ・サイクル論

2013年5月25日

はい、どっと・こむばんは(=^o^=)やまねこどん兵衛でございまふ。
ライフ・サイクル論について考えています。上野千鶴子さんの「おひとりさまの老後」 や清野初美さんの「話があるの」や結城康博さんの「介護の値段」などを読んでいる うちに中高年以降の時間がずいぶん長いことに思い当ったせいもあります。
やまねこはおりしも、昨日ある婚活年齢にある男女にあらぬ説教をしたのでありました。
「一人で過ごす時間が長いというのは、男女は問わない時代に入っているのは 確かなんだ。おひとりさまは女性だけではない。君たちの夢を壊すようで申し訳ないけど 独身主義も家庭を持つことももう大して違いはないんだよ。 雇用機会均等法が成立した時点で家庭中心・核家族の社会は終わったのかもしれない。 だから、君たちはずっとひとりで生きる覚悟さえ持てばいいのかもと思う。
そして、一人よりも二人で生きた方がいいと判断したら結婚もひとつの選択ではある。 残念だけどもう、結婚や家庭というのは個人の自由選択の一項目になってゆくような気が するんだ。それは個人の時代の始まりということなの。」
ライフ・サイクルをもう一度考え直す時代が到来しているのは確かなことなのでしょう。
『ライフサイクル(英: life cycle)は、人生の経過を円環に描いて説明したもの。精神分析家で発達心理学者のエリク・H・エリクソンが、その著『ライフサイクル その完結』で取り上げてから、広く一般にこの言葉が浸透するようになった。
近代の始めあたりまで、洋の東西を問わず、人の一生を図解で説明するのに使われるのは、太鼓橋、もしくは階段状の乗降台のようなスタイルだった。これで、人生前半の成長と、後半の老化を説明したものである。それは、今で言うライフスパンにあたる。 時計の右回りの一周に人生を象徴的に見るというのは、1年の四季が比較的はっきりした文化の中でできることで、アジアでは、中国では古来、青春、赤夏、白秋、黒冬(玄冬)という易経の分類段階を振り当て、これに四聖獣(青龍、朱雀、白虎、玄武)が守護神としてついた。人生の最初の若々しい時代を「青春」というのはここから来たもので、禅の世界でも人の一生を円を描いて、またそれを消すがごときというふうにいう。エリクソンは、おそらくはそうしたアジア的な自然の輪廻からこの着想を得たものと思われるが、同様の考え方は、イギリス、特にケルトの文化の中にもあり、有名な叙事詩「アーサー王と緑の騎士」の中にも、一年をめぐり、また蘇る自然の生命力のたくましさの話題が登場する。』
結婚・家庭・育児・マイホーム・教育・子供たちの独立・定年・シニアライフと言った ライフ・サイクルを一般的なスタイルと考えているのはどうも団塊世代までのような気が するのです。現代ではもっと早い時期に親の離婚や死別や家庭崩壊で社会に投げ出される 人は加速度的に増えている社会です。会社も定年前に社員を使い捨てにする時代です。 安定的社会構造や家庭などもうないのかもしれません。
そんな社会であってもわたしたちは 生きぬくライフ・サイクルを再構築してゆかなけれはなりません。 孤独を最大の資本として生きること。個人の時代はもう、始まっているような気がしますが いかがでしょうか。

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