陰翳礼讃問答

2013年8月13日

はい、どっと・チューニング(=^o^=)やまねこ庵でございます。
毎朝、石手寺霊園脇の兄の家で、お墓の仕事を手伝いながら兄と「陰翳礼讃問答」 をしています。実はこのお盆で兄はお墓の仕事を閉店するのです。 あと数日の営業です。

「そう云うことを考えるのは小説家の空想であって、もはや今日になってしまった以上、もう一度逆戻りをしてやり直す訳に行かないことは分りきっている。だから私の云うことは、今更不可能事を願い、愚痴をこぼすのに過ぎないのであるが、愚痴は愚痴として、とにかく我等が西洋人に比べてどのくらい損をしているかと云うことは、考えてみても差支えあるまい。つまり、一と口に云うと、西洋の方は順当な方向を辿って今日に到達したのであり、我等の方は、優秀な文明に逢着してそれを取り入れざるを得なかった代りに、過去数千年来発展しきった進路とは違った方向へ歩み出すようになった、そこからいろいろな故障や不便が起っていると思われる。尤もわれわれを放っておいたら、五百年前も今日も物質的には大した進展をしていなかったかも知れない。」(「陰翳礼讃」谷崎潤一郎)

西洋文化・文明の文物を取り入れたがゆえに失いつつあるものとしての「陰翳の美学」を惜しみつつ もし、西洋に逢着しなかったら500年前と変わらぬ生活をしていたかもしれない、とも語る谷崎の ダブル・バインドは今もわたしたちの根底に残っているような気がします。
合理的、便利、進歩的、民主的、革新的な現代生活は「蛍光灯とシステム文化」を究極まで 推し進めた結果、陰翳の巣食う場所”を見失っているかのような日本人です。
先般、愛媛を訪れ、内子町で町並み保存の基調講演をしたアレックス・カーさんは揶揄します。
「『人類が宇宙に移り住む時代が来たら、日本人は一番スムーズに宇宙での生活に慣れるでしょう。その理由は宇宙には、木、草、花、鳥、動物、美術、文化的な街並みなどないからです。宇宙船の中、あるいは月の上の殖民基地はアルミと蛍光灯の世界です。
他の国の人たちは時々自然の森や生まれ故郷の美しい街並みを思い出して、地球に帰りたくなる。けれども、日本人は日本を思い出してもアルミサッシ、蛍光灯、空に聳える鉄塔、コンクリートとガラスの町しか思い浮かばないので、月面での生活とそう変わらないはずです。』 アレックス・カー著『美しき日本の残像』より

陰影に満ちた美しい東洋美を求めて日本を訪れる外人さんは「コンビニ」という珍語を覚えて 帰るそうです。ヨーロッパにもなかなか見つからない二十四時間照明の不夜城というわけです。
これは西洋と東洋の出会いなどといったものではなく無制限に闇雲に合理性に過激につっ走った 挙句のデット・エンドのような気もします。
「くるくる寿司システム」に見られるようにクールにスピーディーにシステマチックに寿司を 食べ、家に帰り、スピーディーに出勤してシステマティックに仕事をこなし、効率よく合理的 に年を取りシステマティックに病気になり、入院し、死ぬようなライン・メカニズムのような 生き方に「陰翳の美学」は無用かもしれません。
もう一度、立ち止まりお墓参りでもして『里山資本主義』やドミニック・ローホーさんの 『シンプルに生きる』などを読み返してみるのも一考かと思います。


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