『奇跡のリンゴ』講演会

「いろはかるた」福岡正信
「いろはかるた」福岡正信

2011年2月6日

はい、どっと・モーニング(=^o^=)やまねこですよ~。
『無邪気庵』のご主人に誘われて 最近話題の『奇跡のリンゴ』で知られる木村秋則さんの講演会に行ってきました。 会場となったひめぎんホールは、オーガニック・フェスタで賑わっていました。 講演会も2000人を超える盛況ぶりです。 木村さんのゆるゆるとした「歯のないおじさん」として親しまれる東北訛りでの講演に 耳を傾けました。
これまで不可能とされてきたリンゴの無農薬栽培に挑戦して成功し 日本の農業の問題に取り組んできた体験を資料をまじえながらお話します。 リンゴだけてなく、稲や野菜も無肥料、無農薬の自然栽培が可能であることを わかりやすく伝えてくれます。
お話のポイントは日本の農地の多くが土壌が疲弊したのは、 化学肥料や農薬のためであるということ。 彼はそれを「農地の砂漠化」と呼んでいました。たしかに多くの畑が、掘ってみると 砂状になりつつあるのです。そして、化学肥料に頼ると作物が根をはる力を弱めて 自然から養分を吸収しなくなる。自然栽培の米・野菜は腐らないが、一般の野菜はすぐに 腐る。日本は世界最大の農薬消費国であることなど、具体的でわかりやすい講演です。
やまねこは、講演をききながら木村さんが自然栽培を始めたきっかけが愛媛の福岡自然農園 であったというエピソードを思い出していました。 彼もまた福岡正信さんからインスパイアされた一人だというのです。 「不耕起、無肥料、無除草、無農薬」をおおきな柱とする自然農法は、この愛媛の地で生まれ 全世界に広がっています。
やまねこの福岡翁の農園に20年間通った青春時代の思い出、そして「無の哲学」がリンゴ栽培 にも生きていることを確認し、時代のおおきな変化を感じました。

『福岡正信回想録』~風袋やまねこ軒
松山市の総合公園の山道を歩きながら、考えました。 『知に働けば角が立つ。情に竿させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかく人の世は住みにくい。』 よくご存知の漱石『草枕』の冒頭です。 今風に言うと・・・ 『理屈っぽい人は人を寄せ付けない。感情に溺れると人の言いなりになる。頑固者は、敬遠される。 とにかく、日本人はウィットと諧謔を解しないのは困りものだ。』というところでしょうか? 英国帰りの漱石のウィットに富んだ川柳なのかもしれません。もうちょっとトレランス(寛容)を持って人の世を渡りたいという願望とも受け取れます。 いずれにしても、知も感情も意志も独走しないでゆるやかではいられない「西洋化の波」を危惧していた時代なのでしょう。 それから100年余りが過ぎたところにわたしたちは住んでいます。
今の日本人について『美しき日本の残像』より、アレックス・カーの言葉を引用してみましょう。アレックス・カーはカリフォルニア大学の東洋学の教授でしたが、20年にわたり日本に住んでいた大の日本通のアメリカ人です。

『人類が宇宙に移り住む時代が来たら、日本人は一番スムーズに宇宙での生活に慣れるでしょう。その理由は宇宙には、木、草、花、鳥、動物、美術、文化的な街並みなどないからです。 宇宙船の中、あるいは月の上の殖民基地はアルミと蛍光灯の世界です。他の国の人たちは時々自然の森や生まれ故郷の美しい街並みを思い出して、地球に帰りたくなる。 けれども、、日本人は日本を思い出してもアルミサッシ、蛍光灯、空に聳える鉄塔、コンクリートとガラスの町しか思い浮かばないので、月面での生活とそう変わらないはずです。』       『美しき日本の残像』より

確かに何をかいわんや、ですね。漱石と読み比べて、明治と平成はこれほどに変わってしまったのかな、とわたしも思いました。陰影礼賛の日本、スローでほのかな暗闇や潤いのある日本と現在の蛍光灯とアルミとコンクリートの乾いた構築物のひしめく日本。西洋人よりも西洋化して、機能化して、システム化しすぎたためにスペース・コロニーでの生活に難なく適応しそうだとアレックス・カーは揶揄するのです。しかし、これは同時に日本人の感性の可塑性を暗に羨望する言葉のようにも受け取れます。 外人さんに対しては、京都のような古き良き日本をアピールしつつ、自分の生活はアルミと蛍光灯とハイテクをこよなく愛する日本人は、月面生活にいち早く適応して、どんな未来生活を夢見ているのでしょうか。マンションとコンビニとイルミネーションに溢れる都市生活は、知に働き、情に竿さし、意地を通した結果、システムと蛍光灯の明かりの中で複雑に住みにくい現代をもたらしたのかもしれません。
もう一度、アジアンな暮らしの原点に帰って今の暮らしを見つめたい・・。 そして、本当のナチュラリズムの原点に帰りたいと思うのです。

昨夏亡くなった福岡正信さんの遺作『いろは革命歌』を手に入れました。福岡さんが、亡くなる直前まで編集作業にたずさわり支援者の方々で完成されたという地球の未来への贈り物のような作品です。福岡さんが自然農法とエコな感性から謳った歌が自筆で書かれ、英訳もされています。また、素材は手漉き和紙というエコな作りになっています。
   
自然農園の姿    
鳥にまかせ    
人智人為無用    
自然のままに    
とんでもない人の智は    
時間空間獲得目的で    
時計とお金にしばられて

こんなふうに福岡さんならではの革命歌がいろはで五十首詠まれています。
二十年にわたり、何度も訪れた福岡農園のことをふと想い出していました。 季節ごとに深山から訪れ、木の実をついばみ種を落としてゆく鳥たち・・・巨大なダイコンが掘り起こす大地、季節の花々、群生するハヤトウウリ、農園のここかしこに根をはるアカシアモリノキ・・・そんな農園の中の古ぼけた小屋のひとつを彼は「小心庵」と名づけ、いつも囲炉裏のそばにいました。福岡さんを訪れるとずいぶん歓迎してくれ、いつも哲学談義をきかせてくれました。福岡農園の大地はいつも湿潤で潤い、春はスイセンの香りがします。菜の花の頃は、ダイコンの白い花と競い合って咲き乱れ、桜や桃の花も咲き誇りパラダイスのような光景でした。 大地の創造性、自然のアートとも言えるような光景です。 そんな福岡農園の思い出を背にわたしも野の道に入りたいと願っています。

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