未来の観測

2013年5月23日

はい、どっと・ちゅーにんぐ(=^o^=)やまねこ通信でございます。
未来について考えています。どらえもんのように未来から来たやまねこ型ロボット であれば、未来について悩む必要はないのですが・・・。
感覚として、どうもわれわれは時間の流れに沿って「現在という船」に乗って航行 しているようです。今は知り得ない未来とすでに知り得た過去の間に居るという 感じでしょうか。 そういう観点からはわたしたちは、「未知を既知に変えながら旅している」とも 言えるかな。
昔、芭蕉は「月日は百代の過客にして行き交う人もまた旅人なり」と歎じました。 (月日は永遠の旅人であり、来ては過ぎる年もまた旅人のようなものである。)
仏教のアビダルマ(説一切有部)によれば 「説一切有部」とは、この世界を成り立たせている一切のダルマが過去・現在・未来の三世にわたって実在するとするところからついた学派名である。諸行無常と矛盾するようであるが、かれらはむしろ実在するダルマがなければ、諸行無常は成り立たないと考えた。
もろもろのダルマは集まって現象してくる。それは現在の一瞬間にのみ存在し、消滅する(刹那滅)。しかし、それぞれのダルマそのものは、未来から現在をへて過去にいたって常に存在し続ける(三世実有・法体恒有)と考えるのである。」
時間と存在を分析していたアビダルマの論師たちは、「現象」というものが「時間内」にあると考えました。そして、一瞬ごとに世界は生滅流転していると捉えたのです。
刹那滅とはちょうど60ヘルツで生滅するテレビ画面のようなものです。
それを宮沢賢治は美しい詩で表現しています。

春と修羅
わたくしといふ現象は
假定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといっしょに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける 因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち、その電燈は失はれ)
青い照明と共に流れる時間

透明な春のランドスケープの中で時間の観測を続けてみようと思っています。

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