シェア・ハウスどんぐり館 2

どんぐり館

2011年8月24日

はい、どっと・こむばんは(=^o^=)やまねこでおます。
夢の里の秋雨のなか、仕事で奔走していました。
ドーム・ハウス・プロジェクトは、地下水流のように様々なプランニングに取り組んでいます。このたび、夢の里に誕生したシェア・ハウスどんぐり館もシニア・ライフの試みとして順調なスタートを切りました。
これまで、福祉・介護の公的施設としての老人ホーム、グループ・ホームとは異なる共生型シェア・ハウスの試みは、ある意味で新しい時代に対応したモデル・プランと捉えることもできます。四人に一人が高齢者と言う社会を迎え、わたしたちは空前の高齢化社会に生きています。
当たり前のことですが、人はいつか年老いて、主たる仕事を若い世代に譲り、老齢化と病気と死に向かい合うのです。
問題は、多くの場合老化と病気と死の受け皿が病院と老人ホームにしかないということです。
様々な医療的処置や生活環境は整いつつあることとはうらはらに死は囲い込まれ、生前サービスに書き換えられてゆきます。誰にとっても大きな体験となるはずの「死を迎えるべき終の棲家」は病院のベットや管理された施設内であることが多く、死に方を教えてくれることはまずありません。
わたしたちが本当に知りたいのは、「生き方と死に方」なのですが、生き方も死に方も知る人はなく、教える人もいないのが現代で、これを「無縁社会」と捉えている人も実は死ぬということについては単なる生の空白と見なしているのかもしれません。
昔は、死期を間近に迎えた家族がいると隣近所で死を分かち合ったものです。死は、この世や家族との別れであると同時に彼岸への橋渡しの弔いと共同体のつながり、絆を確かめ合う機会でもあったはずなのです。
シェア・ハウスとは、そんな過去の長屋的つながりを回復し大切にしてゆく試みとも言えます。
死を単なる空白と考えれば、生も単なる空白となるのでしょう。
しかし、空白の生を生きる人にとって死は、空しい終わりとも言えます。
無縁社会とは、そんな管理された死と終末に向かう失望の結果のような気がします。
にもかかわらず、わたしたちは人間らしく生きて人間らしく死にたいというのが本心なのですから死へと向かう生き方、考え方を学ぶべきだと思いますが、いかがでしょうか?

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