2008年1月24日
そもそも、密教とは何か?という問いは「謎そのもの」だと思っています。
最近は、情報公開の時代なので、「わかりやすい密教」と題して、サルでもわかるように説き聞かせてくれる人がいてもいいような気がしますが、なかなかそうは問屋とホームセンターが卸さない、というのは弘法大師でなくても了解済みなのかもしれません。
空海の言う「最大極秘の法界体」(さいだいごくひのほっかいたい)は、『般若心経秘鍵』を読んでも『即身成仏義』を読んでも、なかなか見えてこないのは密教だから、当然の理かもしれません。
ただ、ひとつ謎解きのポイントがあるとすれば、般若心経秘鍵に次のような表現が見られます。
文殊の利剣は諸戯を断つ(もんじゅのりけんは、しょけをたつ)
覚母の梵文は調御の師なり(かくものぼんもんは、ちょうごのしなり)
ジク・マンの真言を種字とす。(じくまんのしんごんをしゅじとす)
諸教を含蔵せる陀羅尼なり (しょきょうをがんぞうせるだらになり)
(弘法大師「般若心経秘鍵」)
なにやら平安期の美文調ですが、こういうことです。
「女性的なるものは永遠の理法に近い。したがって、本質を持つものは女性の姿をとる。ゆえに、釈迦・聖賢といえども母の力により生まれる。これは、諸々の仏の教えである。」という意訳になるでしょうか。
どんな立派な人も母親から生まれてくるのですから、偉大なる者は「母なるもの」から齎されるという・・・密教独自の女性礼賛が根底にあるのかもしれません。「命の母-A」はいつの時代も健在なのでしょう。
最大極秘の法界体(さいだいごくひのほっかいたい)という謎を解く鍵はこのあたりにあるのかもしれません。
お釈迦様も「母親が自らの命を賭して、わが子の命を守るように生きとし生けるものに慈悲の心を抱け」 と説かれています。
もともと日本は古来「母なるものの国」であったことを男性も想起するのがいいかもしれませんね。