スモール・イズ・ビューティフル

2014年3月19日

はい、どっと・ちゅーにんぐ(=^o^=)やまねこ庵でございます。
春らしくなりましたね。ぽかぽか陽気の中でつくしを採ったりツワブキを採ったりしていました。 今晩は春の味覚です。
サティシュ先生の「最高の人生をつくる授業」を読みながら「スモール・イズ・ビューティフル」 の哲学について考えていました。
というのは、先日の松岡正剛さんの講演の中で「私たち日本人は古来から小さきものへの共感 を持っています。枕草子の中で『小さき者はうつくしき』と表現されています。」という 事を言われていました。
「ちひさきもの」について、松岡正剛氏によると「不足の美」であると。
「不足によってこそ、完全や満足という物ではあらわせないことが出現するとみなす。不足をいかに美しくするかということによって、人々の中に満足の美というものを感じさせるのです。「枕草子」はそれを「小さきもの」と言いました。イサムノグチは「不完全こそが美だ」と言いました。」 (「神仏たちの秘密―日本の面影の源流を解く」より
Do more with lessと喝破したのはドームハウスの生みの親であるバックミンスター・フラー であり、彼の生涯の盟友であった庭園アーティストのイサム・ノグチは「不完全の美」を尊んだ というのです。
侘び・数寄・余白の美に日本的な美の消息を訪ねる松岡氏ならではの直観かなと思います。
「ちひさきもの」とは単にサイズが小さいということではなく、フラジャイルで繊細で細部に 宿るもの、そしてフラー博士が言う様により少ないもので多くを為す「力」のようなものをさし それこそが「美しい」と言える。
それを蕪村のような俳人は巨大なものに対峙できるのは「小さきもの」であることを句に読み込み ました。
五月雨や大河の前に 家二軒
やまねこも蕪村に倣いましょう。
南海トラフ巨大地震に ドームハウスかな 正剛さんはそれを美学的なテーマとしてのみならず、私たちの社会を覆い尽くしている 巨大な時代の波に抗する力ともとらえ返しています。 グローバリズムの嵐が吹き荒れる時代の中でしっかりと大地に根を下ろし、時代を乗り切る力を 『スモール・イズ・ビューティフルの哲学』に見出しているとも言えるのでしょう。

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