虹が語るもの

2013年8月4日

はい、どっと・もーにんぐ(=^o^=)やまねこ測候所でございます。
ひさしぶりの朝の虹を観測しました。夢の里では年間五回くらい虹が出ます。
やまねこは、小学生の頃虹の不思議を感じていました。 「あれは何を語りかけているのかな。」と思ったものです。
文豪ゲーテが自然科学者であったことは、あまり知られていません。彼は鉱山技術者でもあり 自然科学論文集を膨大に残しています。
『色彩論」は近年、ゲーテ学者の間でも再研究の対象 となっています。
色彩は光の行為である。行為であり、受苦である。(『色彩論』まえがき)

色彩論においては、色彩は光の「行為」として捉えられている。すなわち生けるものなのである。ゲーテは語りかける自然ということを言っているが、語りかけるとは、語るものと、語りかけられるものがあってこそ成り立つものだと言える。色彩は単なる主観でも単なる客観でもなく、人間の眼の感覚と、自然たる光の共同作業によって生成するものである。

ゲーテはニュートンに代表されるように近代科学が機械論的・計量的手法によって自然の本質 を抽象化してしまうことに危機感を持っていたのです。 「生ける自然」を分割・分析によらず全体として捉えるという思考です。
それは、ちょうど バックミンスター・フラー博士の全地球的・ホリスティックというコンセプトにも通じるの でしょう。
わたしたちは自然を対象として「向こう側とこちら側」に分けて、分析・実験・検証しようと します。顕微鏡で見る細胞はすでに死んだものとみなし、細胞の構造を解明します。 しかし、自然は常に生きたものであり、わたしたちに何かを語りかけてくる存在です。
虹は何を語りかけてくれるのか・・・? そう、問いかけることによって近代科学が掬いとれなかった「美しいもの」「真実なもの」 「善なるもの」を見つめようとしていたのかもしれません。 「もっと光を」というのは、ゲーテの臨終の言葉でしたね。

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