ソーシャル・ヴィジョンの時代へ

2013年1月4日

はい、どっと・みっどないと(=^o^=)やまねこでおます。
ソーシャル・ネットワークについて考えていました。
小さくは近所づきあい、地域社会、そして大きくは国民国家や国際社会へと拡大して ゆきますね。
面白いのはそれが、二系列あるということです。 ひとつは、家族・地縁血縁にはじまり民族から地球まで拡大するつながり。
もうひとつは、戸籍にはじまり地域自治体、学校・会社から国家・国際社会まで拡大する つながりです。
前者を「内なるつながり」とすれは後者は「外なるつながり」と言えるかもしれません。 個人に集約すると前者は「私の物語」と言うことができます。 後者は「私の履歴書」ということになるかな。
さて、どちらが大切か? 勿論、どちらも大切です。 しかし、少なくとも「わたしの物語」はわたしが紡ぎだしますが、後者は社会との共同の 産物であることは確かです。 つまり、出発点は内なるものが優位であって外なるものは、その結果ないしは産物とも 言えます。 にもかかわらず、私たちの社会は外なるもの・・・履歴・実績・成果・権力が優位に 立ちます。ここに現代の苦悩があるのかもしれませんね。
ソーシャル・ネットワークはこの病理と倒立を補完するものと期待されています。 かつての身分社会に代わって、能力主義が立ち現れたようにソーシャル・ネットは 内なるものと外なるものの共生をめざしているような気がします。
そんな観点から見れば、利益社会よりも相互扶助社会の方がすぐれているのでしょう。 昨年末の選挙は時代の趨勢を無視した結果であることが全国民にさらされてしまいました。 国民はそれほど無知ではないということを為政者は痛感する年になるのではないかと危惧 しています。
かのバックミンスター・フラー博士は 『政治家に社会を任せることは、犬のしっぽに犬の散歩を頼むようなものだ。』 至言です。

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