2007年9月29日
「私たちは大切にしよう。ひとりの人間が、他の人たちよりずっとたくさんの物を 持つとか、ひとりがうんとたくさん持っていて、他の人びとは無一物、というようなことを私たちは許さない。そのならわしを大切にしよう。そうすれば私たちは、隣の兄弟が不幸を嘆いているのに、それでも幸せでほがらかにしていられるあのパパラギのような心にならずにすむ。・・ 」
「時間というのは、ぬれた手の中の蛇のようなものだと思う。しっかりつかもうとすればするほど、すべり出てしまう。自分で、かえって遠ざけてしまう。パパラギはいつも、伸ばした手で 時間のあとを追っかけて行き、時間に日なたぼっこのひまさえ与えない。時間はいつでも、パパラギにくっついていなければならない。何か歌ったりしゃべったりしなければならない。
だが、時間は静かで平和を好み、安息を愛し、むしろの上にのびのびと横になるのが好き だ。パパラギは時間がどういうものかを知らず、理解もしていない。それゆえ彼らの野蛮な 風習によって、時間を虐待している。」
これは25年前くらいによく読まれた「パパラギ」の一節です。わたしが、学生時代に話題になった本です。先住民文化から、学ぶという風潮が学生運動の残照のなかから芽生え、やがて環境危機とエコな発想が世界に広がりつつあった頃です。100年前サモアのツイアビという酋長が、ヨーロッパの西洋文明に出会って、語った言葉がまとめられています。
パパラギとは、白人、西洋人を指す言葉です。
当時は、ツイアビ酋長とは、西洋人で「ガリバー旅行記」のようなものではないか、という噂でした。
にもかかわらず、この本は西洋世界、日本でも一種のバイブルのように読まれスローライフとエコと先住 民文化への理解の手引書という役割を果てしているのも確かです。
ただ、面白いのは、現在パパラギは南の島のペンションやダイビング・スクール、オーガニック・ショップのキーワードとして普及に一役買っていたり、現在もエコ・ロハスの本として80数刷を数えるほど読まれていることです。もし、西洋人が書いたものであったとしても、わたしたちが陥っている世界観の問題を訴えるものがあるからでしょう。
また、自然とともに生きるとは、どういうことかがわかりやすく書かれているからかもしれません。
サモアには時計がないのです。ツイアビは、パパラギは丸い機械で自分たちを縛っている、と語ります。たまには、「丸い機械」をはずして日の出、日没を眺めてみるのもいいかもしれません。
果たして、フィクションなのかツイアビは実在の酋長なのか、確かめる機会はわたしにはありませんでした。ご存知の方はお知らせください。
本書はカルロス・カスタネダの『呪術師シリーズ』とともによく読まれ続けています。
今日は、船の汽笛のように「ボー」と過ごしていました。
何かしていてわたし・・・というものでもなく、なにもしていなくてもわたし・・でいいと思います。