2008年6月22日
『わたしたちの目の前には、雪に覆われた平原が広がっています。川も湖も凍っています。
海岸の大部分も凍って海には流氷が浮かび、あちらこちらに低い樹木が雪と氷に覆われています。
夕暮れです。
太陽はすでに沈み、夕暮れの黄金の輝きを空に残しています。
二人の女性が立っています。
夕焼けの中から霊的世界の使いがつかわされて、この二人の女性の前に立ちます。
そして二人が自分たちの魂の体験を語るのに耳を傾けます。
二人のうちの一人は、手で体をこすりながら「寒いわ。」と言います。
もう一人は、雪に覆われた平原、凍った海、氷柱のついた木々を眺め、自分の個人的な感情を忘れ、寒さを感じるのも忘れて「なんて美しい景色でしょう」と言います。
熱が胸の中に流れ込むのを感じ、肉体が感じる寒さを忘れてしまいます。この凍った風景の美しさが内面で身体的な感情を圧倒します。
日は深く沈み、夕焼けは消え去り、二人の女性は深い眠りの中に落ちていきます。
凍える思いをした女性は死んだように眠ります。「なんて美しいんでしょう。」と感じた女性はその感情の余韻によって体が暖められ、眠りの中でも新鮮な生命を保ちます。
この女性に夕焼けの輝きから生まれた若者が「あなたは、芸術だ」と語りかけます。
そして、彼女は眠りに落ちていきます。彼女は景色から受けた印象を眠りの中に運んでいきます。
眠りの中に夢のようなものが現れます。夢の形をしていますが、夢ではなく、現実の啓示であって彼女の魂がかつて予感できなかったものです。
彼女が体験したのは夢ではなく、夢に似た何かです。彼女が体験したのは、魂的なイマジネーション なのです。』
(『芸術と美学』ルドルフ・シュタイナー著 芸術の本質)
はい、こんばんは。(=^o^=) いきなり、長い引用で恐縮です。ここまで、読んでいただいただけでも 合格!!
これは、シュタイナーが芸術の本質について寓話的に語ったところなのですが、イマジネーションのリアル化の技法を見事に伝えてくれます。
例の「魔法使いになるメントレ」の好例ともいえるでしょう。わたしたちには身体的なもの、物質的なものよりも、心に現れたものに強く動かされることが時折あります。
そしてそれが、美の体験であるときに最も生き生きとしたイマジネーションを生み出すきっかけとなるのでしょう。シュタイナーはこの章末で
美の朝焼けを通ってのみ
お前は認識の国に至るのだ と語っています。
善悪や道徳や真偽については、人は社会的責任を問われたりしますが、誰も美の理解について責任は問われません。専ら個人の趣味や判断に任されています。だからと言って、美が人間にとってより低い価値なのではないはずです。むしろ魂の体験の中からもっとも力強い何かを引き出してくれる自由な
領域なのではないでしょうか。
わたしたちの精神生活の中では、社会性や道徳性とともに「美のクオリア」は大きな位置を占めています。
寒さの中でも凍えることなく「なんて美しいんでしょう」と感じた体験の余韻は、眠りの中で芸術の水脈につながって、暁の子どもになって再び形をとるのかもしれませんね。
やまねこ(=^o^=)でした。