2014年5月4日
はい、どっと・ちゅーにんぐ(=^o^=)やまねこ庵でございます。
エコロジストのぽらんさんと一緒に懐かしいK社長がドームハウスを訪問しました。 ぽらんさんとは毎週のように珈琲を飲んでいますが、K社長は18年ぶりくらいです。
まるで地球を一周するかのようなK社長のドラマティックな物語に耳を澄ませていました。 ある種の冒険譚の絵巻物みたいな人生です。 あるいは、錬金術の寓話、あるいはカルマ論的リアリズムみたいなお話です。 20年近くに及ぶ魂と人生の変転の激しさに耳を澄ませていると不思議な気分になりました。
夢の里のこんこんと湧く泉・・奥池を案内しました。 ぽらんさんとわたしとK社長はこの20年間共通の知己ではあります。 それぞれに経てきたプロセスやストーリーを語らううちにある一つのアイデアが 浮かんできました。
「運命のアクチュアリティ」のようなものを引き受けて生きるか、ただ時間が過ぎるだけ の人生を生きるかはその人の魂の器量による。
「自分を変えるか、風景を変えるか」というテーマに行き着いた以上は「運命」を引き受ける 勇気が必要。 深い絶望の谷も厳しい試練の峰も、深い迷いの沼も味わい尽くして、今があるのだという 「カルマへの信頼感」のようなものが人生の果実として現れてきます。 それぞれが歩んできた道は違うのですが「カルマ論的アクチュアリティ」は等しく共有できそうな 気がしました。
夢の里には、奥池と呼ばれる「不思議の泉」があります。一万坪くらいですから 巨大な池です。なぜ不思議の泉なのかと言うと水が枯れたり、水位があまり変化しないこと。 渇水期もあまり影響がなく、エメラルド・グリーンに澄んでいます。水底にはキンギョ藻など があります。なのに流れ込んでいる清流や石清水はありません。 どうも障子山方面からの地湧水ということらしいのですが、湧き水としてはあまりに巨大です。
森の奥に続くところに深い水底を見せる不思議の泉。 今日は、奥池を散歩しながら、ルドルフ・シュタイナーの「泉の不思議」というメルヒェン を想い出していました。
皮膚が透き通るような少年の物語です。
深い物思いに沈む時に少年はしばしば家の近くの森の泉のかたわらですごしました。 内面に深く沈み、花冠や萼(がく)やみどりなす木々の梢から精霊たちの声を聴いていたのでした。 ある月の夜に少年は三人の女の人に出会います・・・。
『あるなごやかな夏の夜、少年がこの泉のまえに座っていると、三人の女の人の一人が、色とりどりの何千ものしずくの粉を、二番目の女の人に渡しました。この女の人は、しずくの粉から銀色に輝く杯を作り、それを三番目の女の人に渡しました。三番目の女の人は、この杯に月の銀色の光を満たして、少年に渡しました。
夜、夢のなかで、少年はその続きを見ました。怖ろしい竜が、この杯を少年から奪ってしまうのです。
この夜ののち、少年はもう三度だけ、泉の不思議を見ました。
そのあとは、月の銀色の光に照らされた岩の泉に、もの思いに耽って座っても三人の女の人は、やってきませんでした。
三度、三百六十週が過ぎ去ったとき、少年はもう大人になっていて、両親の家を出て、 見知らぬ町に引っ越しました。
そこで、ある夜、彼はつらい仕事に疲れて「これから先、何があるのだろうか」と、考えました。
突然、彼は岩の泉のことを思いました。
彼は再び水の女たちを見、今度は、女の人たちが話すのを聞くことができました。
一番目の女の人が言いました。 「さびしいときは、いつも私のことを考えなさい。 私は人間の魂のまなざしを、エーテルの彼方と星の彼方に誘います。私を感じようとする者に、わたしは魔法の杯から、命の希望の飲みものを差し出します。」
二番目の女の人が言いました。 「人生の勇気がなくなりかけたときは、私のことを忘れないでいなさい。私は人間の心の欲求を、魂の奥底と精神の高みに導きます。私のもとに力を求める者に、私は魔法の小槌で、人生を信じる力を作りあげます。」
三番目の女の人の声は、このように聞こえました。 「人生の謎のまえに立ったとき、あなたは精神の目を私に向けなさい。 私は思考の糸を、人生の迷路と魂の深みのなかで紡ぎます。私を信頼する者に、織物台の上で、人生の愛の輝きを織ります。」
その夜、夢のなかに、その続きが現れました。恐ろしい竜が彼をぐるりと取り囲みました。けれども、竜はそれ以上近づけませんでした。
昔、岩の泉で見、彼とともに故郷から見知らぬ土地に引っ越した女の人たちが、 竜から守っていてくれるのでした。「ルドルフ・シュタイナー 泉の不思議」
これもまたシニア・ライフ入門なのかな。