2013年11月28日
はい、どっと・ちゅーにんぐ(=^o^=)やまねこ庵でございます。
クリスマス・シーズンを内省と共に過ごしています。
「心臓思考」とは何か?についてです。
『心臓思考というと、感情的な思考に近いものです。ルドルフ・シュタイナーは『ミクロコスモスとマクロコスモス』(1910)の中で人類の発展が今日に至る以前は、まず初めに心の思考、心臓思考の時代があり、低次な心臓思考の時代があったと語っています。人類の発展と共に脳髄思考、物質思考が支配的になり、概念的思考によって自然科学認識が生まれました。しかしそれは物質的感覚的な思考にとどまっています。 第5文化期の脳髄思考はルドルフ・シュタイナーが「悪の秘儀」と呼んでいる、物質的な影の方向に 向います。そして人間の知性の発展は、悪の傾向をもつようになります。20世紀の核兵器やミサイルのこ とを考えるだけで充分です。人間の思考がキリスト的なものを受け入れ、キリスト的なものによって変容されなければ、人間の思考は、悪に向う傾向から逃れることはできません。それが第5文化期の運命です。それ故第五文化期において、正に知性の変容が必要なのです。』 これは以前、松山を訪問された上松祐二先生のシュタイナーの有機的建築とアントロボソフィー の講演の折に話されたことです。
現代の物質主義の行き過ぎた姿の克服のために再び「心臓思考」を『知性の変容』に位置付けて いるということです。
霊学がめざしているものは、物質主義がもたらした「概念的思考の抽象化」をふたたび血の通った 生命的思考に変化させる知恵のあり方とも言い換えられます。
わたしたちが呼吸・循環器系においてなしているのは、生命活動そのものであるように思考生活 においても「抽象的思考」ではなく「生命的思考」が必要ということでしょうか。
シュタイナーは常々、血液は私たちの自我の器官であり、心臓は内なる自我のシンボルと見てい ました。それは、横紋筋で形成された「不随意活動」を続ける「進化しつつある未来の器官」 とみなしていたのです。心臓は遠い未来において随意筋に変化する横紋筋だというのです。 他の内臓器官は平滑筋という不随意筋で形成されており、心臓のみが横紋筋でできているのは そのためだというのです。
わたしたちの内燃機関としての心臓は、新しい時代に向けて生命的思考を回復させる「思考器官」 なのかもしれません。
「脳髄思考」が分析知と合理主義をもたらしたのだとすると、「心臓思考」は、人間の霊性を 深めながら総合的全体知を形成してゆくのかもしれませんね。 もう一度、燃え盛る炎のような思考を「内なる季節」に蘇らせたいと思うのです。