『銀河鉄道の夜』

「銀河鉄道の夜」

2008年1月18日

宮沢賢治 『銀河鉄道の夜』~遺稿集より
「けれども僕は、ずうっと前から、ここでねむってゐたのではなかったらうか。 ぼくは決して、こんな野原を歩いて来たのではない。 途中のことを考へ出さうとしても、なんにもないんだから。」
ところが、ふと  気がついてみると、さっきから、ごとごとごとごと、ジョバンニの乗って ゐる小さな列車が走りつづけてゐたのでした。 ほんたうにジョバンニは、夜の軽便鉄道の、小さな黄いろの電燈のならんだ車室に、窓から外 を見ながら座ってゐたのです。
車室の中は、青い天蚕絨を張った腰掛けが、まるでがら明きで、 ほんの六七人の、アラビヤ風 のゆるい着物を着た人たちが、眼鏡を直したり、何か本を読んだりしてゐるだけ、 向うの鼠いろ のワニスを塗った壁には、真鍮の大きなぼたんが二つ光ってゐるのでした。(草稿)

映画1985年 「銀河鉄道の夜」
原作:宮沢賢治
原案:ますむらひろし
音楽:細野晴臣
監督 杉井ギサブロー
脚本 別役実
原作はあまりにも、よく知られた宮沢賢治の名作です。
この映画が公開されたとき冬の旅の途中で見たものですから、わたしの中では寒い時期が来ると「銀河鉄道の夜」を思い出します。 信州小淵沢への道、小海線に乗って清里に向かって走る列車・・・・・ その時の雪の中の風景とこの映画はひとつに溶け合っているみたいです。
監督は「タッチ」の杉井ギサブロー、原案・アート・デザインが「アタゴオルは猫の森」のますむらひろし、音楽は知る人ぞ知る当時YMOの細野晴臣さんです。さらに脚本は別役実という当時のアニメではありえない錚々たる製作スタッフです。
キャラクターイメージづくり、プロット、音楽、構成、演出すべて完璧と思えるほど完成度の高い作品なのは、原作への忠実さの現れでしょうか。 監督は、ひょっとして又サブロー?
賢治の研究者からも絶賛されたようです。20数年を経ていますがいまもその魅力を失っていないアニメ作品です。

ウィキペデア~宮沢賢治

生前に刊行された唯一の詩集として『春と修羅』、同じく童話集として『注文の多い料理店』がある。また、生前に雑誌や新聞に投稿・寄稿した作品も少ないながら存在する(『やまなし』『グスコーブドリの伝記』など)。ただし、賢治が受け取った原稿料は、雑誌『愛国婦人』に投稿した童話『雪わたり』で得た5円だけであったといわれる。 しかし生前から注目されていた経緯もあり、死の直後から多数の作品が発表され続け、何度も全集が刊行された。(主な作品は次項参照)

広く作品世界を覆っているのは、作者みずからの裕福な出自と、郷土の農民の悲惨な境遇との対比が生んだ贖罪感や自己犠牲精神である。 また、作者の芸術の根底には幼い頃から親しんだ仏教の強い影響もある。その主な契機としては浄土真宗の暁烏敏らの講話・説教が挙げられるが、特に18歳の時に同宗の学僧島地大等編訳の法華経を読んで深い感銘を受けたと言われる。この法華経信仰の高まりにより賢治は後に国粋主義の法華宗教団国柱会に入信するが、法華宗は当時の宮沢家とは宗派違いであったので、父親との対立を深めることとなった。弱者に対する献身的精神、強者への嫌悪などの要素はこれらの経緯と深い関わりがあると思われる。また、良き理解者としての妹トシの死が与えた喪失感は以後の作品に特有の陰影を加えた。

なお、特筆すべきは作者の特異で旺盛な自然との交感力である。それは作品に極めて個性的な魅力を与えた。賢治作品の持つ圧倒的魅力はこの天性を抜きには説明できない。

賢治の作品にはコスモポリタン的な雰囲気があり、軍国的要素やナショナリズム的な要素を直接反映した作品はほとんどみられないが、賢治は24歳に国柱会に入信してから、時期によって活動・傾倒の度合いに差はあるものの生涯その一員であり続けたので、その社会的活動や自己犠牲的な思想について、当時のファシズム的風潮や国柱会、ユートピア思想(「新しき村(武者小路実篤)」、「有島共生農場(有島武郎)」、トルストイ・徳富蘆花、「満州・王道楽土(農本主義者・加藤完治)」など)の影響を考えるべきであるという見解も見られる。 戦後は賢治の生き方や作品にみられるヒューマニズムや平和主義的側面が注目され、特に近年はエコロジー思想とも関連づけられて高く評価されることが多い。

賢治は、いったん完成した作品でも徹底して手を加えて他の作品に改作することが珍しくなかった。この点から賢治は「最終的な完成」がない特異な創作概念を持っていたという見方があり、自身が書き残した『農民芸術概論綱要』においても「永久の未完成これ完成である」という記述がある。多くの作品が死後に未定稿のまま残されたこともあり、作品によっては何度もの修正の跡が残されて全集の編集者が判読に苦労するケースも少なくなかった。そうした背景から、原稿の徹底した調査に基づき逐次形態をすべて明らかにする『校本 宮澤賢治全集』(筑摩書房、1973~77年)が刊行され、作品内容の整理が図られた。

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